スポ根テニス漫画「エースをねらえ!」に見る仏教思想と永遠の命

心に残る家族葬

スポ根テニス漫画「エースをねらえ!」に見る仏教思想と永遠の命

生きることはすべてにおいて優先させるべきである。しかしただ長く生きればそれでいいというものでもない。例え短くても見事に生きた人生もあるのではないか。そして、そのような生き様を受け継ぐ人が必ずいる。思いが引き継がれる限り人は死なない。

■「エースをねらえ!」とは?仏教との関係は?

「エースをねらえ!」は1973〜75年(第1部)、1978〜80年(第2部)まで『週刊マーガレット』に連載された、山本鈴美香の漫画作品である。凡庸な高校テニス部員岡ひろみの前に宗方仁なる人物が新コーチとして着任し、宗方の指導の下で才能を発揮しつつ、恋に人生に悩み成長していく物語である。この作品は大ヒットとなりアニメ化もされ、テニスブームを巻き起こした。ひろみの先輩であり目標である「お蝶夫人」こと竜崎麗香の強烈なビジュアルとキャラクターをはじめ、現代においても知名度は高い。しかし宗方やお蝶婦人のイメージがあまりに強すぎてその本来の魅力は語り継がれているとは言い難い。この作品は宗教や文学に造詣の深い作者による、鎮魂と再生、そして救いの物語である。

また、仏教の思想が色濃く反映されており、仏教の2大原則といえる「無我」(無心)と「縁起」(つながり)は一体であることがこの作品を通じて理解できる(注)。

注:山本は現在新興宗教の教祖として活動しているが、本作執筆の時点では仏教本来の思想を正確に表現していると思われる。

■宗方仁の迷いと悟り

宗方仁はかつて将来を嘱望されたテニス選手であった。しかし練習中の事故で選手として再起不能となってしまう。宗方は幼少期に父親が彼と母を捨て他の女性の下に走り、その後母も若くして死去した。こうした事情により荒れた青春を送ったが、テニスに出会い人生の目標を手にしたのである。そのテニスを、まさにこれからが絶頂という20代前半に奪われた。そしてさらに余命わずかであることも明らかになった。宗方は、限りある命と時間を、怒りや憎しみ、呪いなどに囚われていたことを後悔する。
怒りや怨みといったネガティブな感情は一概には否定できない。それらを糧に奮起することもできる。しかしそれらに囚われ執着していては、有限の時間と命を消費するばかりである。宗方は後にひろみに語っている。

「この世のすべてに終わりがあって 人生にも試合にも終わりがあって いつと知ることはできなくても 必ず確実にその終わりに近づいている だからきらめくような生命をこめて 本当に二度とないこの一球を精一杯打たねばならない」

宗方は夢を託すべく、いるのかいないのかわからない選手を探す旅に出る。そこでひろみに出会い、いつしか自分の体の代用であることを忘れて、ひたすらひろみを高みへと連れていく。宗方は自分の夢という執着すら捨てて、想いを繋げることに昇華していった。そしてひろみを愛する藤堂貴之に全てを話し、ひろみのその後を託したのである。

■桂大悟の迷いと悟り

「エースをねらえ!」は2部構成になっているが、テレビアニメが宗方の死で完結しているため、第2部の知名度はかなり低い(OVAのみ映像化)。しかし作者はむしろ第2部を書きたかったのではないかと思える。
第2部は宗方を失い失意の底に落ちたひろみの再生と、宗方の魂に対する鎮魂の物語である。そのキーパーソンが桂大悟。宗方の親友である。宗方はまだ見ぬ選手を探す旅に出ることを決意した後、桂に後進を託す。桂は受諾するが、激しい慟哭に襲われる。あまりにも重すぎる約束であり、まじの覚悟でできることではなかった。桂は永平寺に籠もり僧となり、自分なりの悟りを開く。それは大した苦しみもない代わり、大した喜びもないぬるま湯のような人生より、慟哭を味わえる人間は幸福なのだということ。ひろみはまさに慟哭の渦中にあり、その先に人生の高みが待っていると確信した。その後、身障者の子供とのふれあいなどを通じ、ようやく意志を取り戻しつつあるひろみに宗方のラケットを渡す。

「宗方仁を忘れるな。何もしなくても時は過ぎてゆく。あれほどの男とかかわり、それほどの思いを味わっても これからのお前の心ひとつですべては軽い“思い出”になってしまう!そんなことは俺が許さん!!」

忘れることは人間の素晴らしい能力である。どんな悲しみも永久に持続するものではない。その一方で、日常という波に飲まれ、いつしか軽い思い出になっていくことも事実だ。思いを継ぎ、その人の人生を忘れないことで、人は永遠に生きる。本当の意味でその人が死んだのか、これからも生きるのかは、我々の態度次第なのである。

■無我と縁起

この作品では全編を通じて、無心・無我の大切さを説いている。ああ打とう、こう打とうと考えても決まらない。決まる球とは無心で打った時であるとし、ひろみは純粋である故にそうした境地に入れる才能を持っていた。お蝶夫人はこれを「天才は無心」と評し、私が、とか、私なら、とかのエゴに囚われることの愚を説いた。また、宗方の生き方に学んだ藤堂と親友の尾崎は、日本テニス界の裾野を広げるため、若くして現役を引退し後進の指導に回ることを決意した。思いをつなぐとは、あくまで自分にこだわり、エゴに執着する個人主義では成しえないのである。

■危惧される「つながり」

エースをねらえ!は主要人物のほぼ全員が、何らかの形で自己中心的な考えから解放され、思いを受け継ぎ、思いを託す生き方を選んでいる。

墓じまいという言葉が定着しつつあり、墓など不要だと言う声が増えている。だが実のところこうした論調は、墓や葬儀そのものではなく、魂の「つながり」の放棄、個人主義のより一層の徹底を目指すものではないだろうか。それが正しいか否かはまさに人それぞれであるが、筆者は疑問を呈したいところである。
エースをねらえ!は人生の本質に関わる名言、テーマに満ちている。本稿ではその一部の紹介でしかない。一読を薦めたい。

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