佐々木主浩、江川卓、大谷翔平…プロ野球「絶対に打てない魔球」

ピッチャーからバッターまでその距離、18.44メートル。あまたの打者のバットが空を切った伝説の球の正体を徹底検証!
大リーグボールに、三段ドロップ、スカイフォークと、往年の野球漫画に数々登場した“消える魔球”。いい年の大人になっても、「魔球」という言葉が持つ響きは、やはり格別だ。「プロ野球には、実際に“魔球”のような、すさまじいボールを投げる名投手が存在します。逆に言えば、そうしたボールがあるからこそ、彼らがプロの世界で生き残れたと言えます」(スポーツ紙デスク)
そこで今回、現役時代に多くの投手と対戦経験のある愛甲猛氏(ロッテ、中日)、西山秀二氏(広島、巨人)、そして阪神の元エース、藪恵壹氏の証言を交えながら、一流投手が投げたボールを検証してみたい。
まずは魔球の代名詞、フォーク。ストレートの軌道で、ホームベース近くで急激に落ちていく球だ。三者がそろって名を挙げたのが“ハマの大魔神”佐々木主浩(横浜他)のフォーク。広島時代に対戦経験のある西山氏は、こう証言する。「あれは、自分も調子がよかった1994年。とらえたつもりで振りにいった球が、バットにかすりもしなくてね。周りの言う“消える”っていうのを、そこで初めて理解したんです」
同年9月18日の広島戦で、佐々木が記録した7者連続三振。このとき7個目の三振を献上したのが、他ならぬ西山氏だった。この年、ベストナインに選ばれた西山氏は、オフの日米野球で佐々木とバッテリーを組み、改めて、そのすさまじさを体感した。「捕手として実際に受けたら、まっすぐと同じ軌道で来て、打者の手前でストンと落ちる。腕の振りもまったく同じだし、並のフォークとはちょっと次元が違ったね。本人は“まっすぐが100の力なら、フォークは120、130で腕を振る感覚”と言ってたけど」(前同)
決め球をまっすぐに絞ろうにも、当時の佐々木はコントロールも抜群。フォークを捨てたと見るや、すかさず豪速球が低めを突いた。
同じくフォークを武器としたのが野茂英雄(近鉄他)。日本、そしてアメリカで、トルネード投法から投げ込まれる剛速球とキレのあるフォークで三振の山を築いた。現役時代に戦った愛甲氏は「あのフォークはすごかった」と認めつつ、「野茂のは途中でブレーキがかかるから、しっかり待てば、打てないことはないんだよね。対して、佐々木は分かっていても容易に打てない。別格だよ」
続いて、スライダー。一般的には横に変化するボールで、右利き投手ならば、左へと逃げていく球筋になる。球史に名を残す使い手となると、デビュー当時の伊藤智仁(ヤクルト)と、中日黄金期を支えた岩瀬仁紀(中日)が双璧だろう。伊藤の“宝刀”スライダーには「死神の鎌」なる異名もあったほど。左打者の膝元にまで食い込む変化とキレは、打者を苦しめた。「1年目の伊藤には、確か3安打完封を食らったことがある。実際、すごい球を投げてたよ。そのうちの1本を打ったのが私なんだけど、まっすぐを打ちにいったところにスライダーが来て、偶然芯に当たった。そんな感じだったね」(西山氏)
ただ、当の伊藤は、ルーズショルダーを抱えていたこともあり、1軍デビューから、わずか2か月半後の7月頭に肩を故障し、離脱。その後、絶頂期の球威が戻ることはなかった。
「岩瀬のスライダーは、何種類か投げ分けてたと思うけど、伊藤ともまた違う。大きく曲がるのもあれば、ヤンキースのリベラのカットボールみたいに、手元でクイッと曲がる感じのもあった。あのキレは強烈だったよね」(前同)
愛甲氏は、バッター目線で次のように語る。「打者が打てないスライダーの共通点は、曲がるのが遅いこと。ギリギリまで真っすぐと同じ軌道で来るから、打席での見極めがしづらいんだよ。並みの投手だったら軌道はある程度、膨らむからね」
■ストレートとカーブだけで勝負
お次は、カーブ。昔は「ドロップ(drop)」と言われたが、その名の通り、縦回転を加えることで、山なりに落ちていく球だ。江川卓(巨人)、星野伸之(阪急他)らが、一時代を築いた名手。特に江川は、ストレートと、このカーブだけで勝ち星を重ねた。全盛期にはカウントを取るカーブと、決め球としてのカーブを投げ分け、打者を翻弄した。愛甲氏は、こんな分析をする。
「江川さんのカーブは落差がすごかったけど、本当の“魔球”はまっすぐだと、俺は思うよ。実際に対戦したのは彼の晩年だったけど、それでも、せり上がってくる感じがしたもんね」
確かに、ゆったりしたフォームと常人離れした回転数を誇った江川のストレートは、「史上最速」との呼び声も高い。名にしおうストレートがあればこそのカーブだったということか。「まさに、その通り。俺も完璧にタイミングを合わせたつもりが、結果はどんづまり。ただ速いだけの投手とは、球の質が違ったよ」(前同)
一方の星野は、100キロにも満たないスローカーブが代名詞。その緩急差で、最速120キロ台のストレートが「伊良部(秀輝)より速い」とも評されるなど、打者を大いに幻惑した。「星野さんは目いっぱいに腕を振るから、打者はその残像に惑わされるんです。あとはフォークがあったのも大きかった。苦手な打者が多かったのは、その合わせ技が要因です」(藪氏)
余談になるが、カーブについては藪氏から、こんな驚きの証言も得られた。「ナゴヤ球場では、右打席から見た左投手のカーブが、ちょうどバックスクリーンの白と被ってしまう。つまり物理的に消えるんです。当時の中日で山本昌さんや今中(慎二)、近藤(真一)といった左のカーブ投手が多く活躍していたのも、それと無関係じゃないのかなって。まぁ、半分は冗談ですけどね(笑)」
■シュートやシンカーも
これ以外にも、バッターに食い込んでくるシュート、沈む球のシンカー、ストレートと同じ軌道ながら球速が遅いチェンジアップなど、球界には変化球と同じ数だけ、名手が存在する。
「東尾(修/西武)さんのシュートはそこまで大きく曲がるわけじゃないけど、コントロールがもう抜群でね。ゾーンの四隅を突く“ハ”の字を描く外、外の投球にシュートは威力を発揮した。俺なんてたった5球で仕留められて、あとでチャートを見返したら、ストライクが1球しかなかったこともあったから」(愛甲氏)
東尾がいた西武にはシンカーの名手、潮崎哲也も在籍していた。
「たぶん高津(臣吾/ヤクルトほか)もそうだと思うけど、潮崎のシンカーは、左投手のカーブみたいな軌道で抜けて落ちていく感じ。曲がりの大小でいくつか投げ分けてたんじゃないかな。ただ、俺が本当に驚愕したシンカーは、やっぱり同じ西武の郭泰源。落ち幅がハンパじゃないし、まっすぐも速い。初めて対戦したときは、本当に視界から消えたと思ったよ」(前同)
■ツーシームでメジャーリーガーを翻弄
また、西山氏は広島時代に黒田博樹(広島他)とバッテリーを組んだ間柄。渡米後に習得したシュート系のツーシームで、並みいるメジャーリーガーを翻弄した姿は記憶にも新しい。「日本にいるときから、新球を習得したり、握りを試行錯誤したり、本当に研究熱心なやつでね。彼がメジャーであれだけの成功を収められたのも、常に打者の上を行こうとする探究心と順応力の賜物だと思ってます。田中マー君(将大/楽天他)もファルケンボーグ(元ソフトバンク)を参考にして、独学でスプリットを習得したと聞くもんね」
かつてないほど変化球が多様化した現代において、逆に消えつつある魔球がパームだろう。入団1年目に新人王とMVPを獲得した木田勇(日ハム他)が、名手として知られる。「思いきり腕が振られているのに、ボールが遅れてやってくるのがパームの真骨頂ですから、意図としては現在の主流であるチェンジアップとほぼ同じ。中指を立てた独特の握りのチェンジアップを得意としていた杉内(俊哉/ダイエー他)は、往年のパームに近いものがありましたよ」(藪氏)
最後は、ストレート。バットにかすりもしない剛速球もまた、魔球の一つ。「ワシは170キロ出ていた」と豪語した、カネやんこと金田正一(国鉄他)、160キロ連発でバッターから「球がホップして見える」と言われた大谷翔平(日ハム他)などが見せた剛速球は、プロ野球の華である。「往年のスターの方々には申し訳ないけど、そりゃあ大谷翔平をはじめ、今の若い選手のほうが、あらゆる面ですごいですよ。ただ金田さんに関しては、ロッテの監督だった当時に、一度だけ打撃投手をやってもらったことがあってね。自分で“タコ手”と呼んでた、しなやかな腕の振りも球の回転も、すでに還暦近い年齢だとは思えないほど美しくてね。現役の全盛期には、さぞかし、えげつない球を投げてたんじゃないかなって思ったよ」(愛甲氏)
握りや投げ方をマネたところで、他人には容易にマネできない、一流投手のボール。魔球が生まれる秘密は、ここにあった。