初公開写真で明らかとなった広島と長崎への原子爆弾投下準備の様子と原爆投下後のカラー化映像 (1/2ページ)
原爆投下直前に米軍が攻撃準備を行う様子を捉えた写真が69年を経た今、初公開されたそうだ。
米軍は、第二次世界大戦の末期に当たる1945年8月に、日本の広島と長崎に二発の原子爆弾を投下した。これは人類史上初めて、そして今のところ唯一核兵器が実戦使用された例である。
・マンハッタン計画により製造された原子爆弾
ロスアラモス国立研究所で遂行されたマンハッタン計画によって、1945年8月までに2種類の原爆開発が完了している。
ガンバレル型ウラニウム活性実弾、コードネーム「リトルボーイ」は8月6日に広島に投下された。それから3日後の8月9日、インプロージョン方式プルトニウム活性実弾、コードネーム「ファットマン」が長崎へ投下された。
犠牲者数は広島 約14万人、長崎 約7万人で、それぞれの街の人口のおよそ半分の命が失われた。
原爆のケースを確認する兵士。この後、攻撃拠点となった日本の南方に位置するマリアナ諸島のテニアン島へ輸送された。
広島型原爆、通称リトルボーイの内部。
各部品のテストや充電のための配線が接続されている。
3.原爆建設を監督した地球物理学者フランシス・バーチ(左)。広島に実際に投下された原爆にL-11と記入している。