庶民の足としても使われていた、江戸時代版タクシー「駕籠(かご)」の歴史 (1/2ページ)
江戸時代の人々の移動手段といえば、基本的に徒歩でしたが、現代のタクシーに相当する乗り物もありました。それが「駕籠(かご)」です。
「駕籠」は元来、将軍や大名などの身分の高い人々が利用するものだったので、庶民の使用は禁じられていました。将軍や大名が乗るものは、「乗り物」といわれ、将軍家ものはもちろん、大名の中でも地位階級によって形式や仕上げに精粗の差がつけられていました。
ところが、江戸期を通して庶民の生活が次第に豊かになっていくと、庶民の側からも駕籠利用の要求が次第に高まるようになりました。そこで幕府も675(延宝3)年、幕府もとうとう庶民が駕籠を使用することを容認。駕籠300挺に限っての営業許可を与えたのです。
こうして、江戸・京都・大坂のような大都市には「辻駕籠」(つじかご)が、また各街道ごとに「宿駕籠」(しゅくかご)が営業するようになりました。
「辻駕籠」とは、四本の竹を柱として割竹で編んだだけの簡素なもので、雨風をしのぐために簾が垂らされたもので、宿駕籠は、基本的に辻駕籠と同じ構造で作られていましたが覆いはありません。
料金は大体一里(約4キロメートル)につき、約400文ほど。現在の貨幣価値に換算すると約一万円相当でした。支払いはタクシーと同様、目的地についてから現金で支払うという形でしたが、目的地に到着してから持ち合わせがなかったら困るので、乗り込む前に値段を聞き、駕籠を引く人(駕籠かき)と値切り交渉を行うこともあったようです。
