ソロで生きるとは、水のように生きること (2/4ページ)
行動も一定の枠内という制限があります。しかし、その代わり、進むべき安全な道が提示されていて、岩の壁のように社会が守ってくれていました。不自由の代わりに安心があったのです。
しかし、その岩の壁が失われると、個人は不安定な世界に投げ出されてしまいます。大型船が沈没して、大海原に投げ出されてしまう状態と同じです。それが「水の社会」です。
「水の社会」は「岩の社会」とは正反対です。人々は自分の裁量で動き回れる自由を得た反面、常にその選択に対して自己責任を負うことになります。
それは、個人による競争社会を招き、それに伴う格差を生みやすくします。まさに、現代の姿そのものだと思いませんか?
平成年間に起きた非婚化や離婚の増加は、まさにそういう選択の自由を個人に与えた結果だといえるでしょう。
◇「岩の社会」を支えた3コミュニティの崩壊
このように、かつて人々に安心を与えた「岩の社会」ですが、それを支えていたのはコミュニティ(共同体)でした。地域(地縁)コミュニティ、職場(職縁)コミュニティ、家族(血縁)コミュニティ。この「3つの縁」のコミュニティがその代表例です。
しかし、そうしたコミュニティは崩壊しつつあります。
☆地域コミュニティ
すでに、都会では地域コミュニティは存在しなくなっていますね。集合住宅内において、両隣に誰が住んでいるか知らないなんて人も多いでしょう。
☆職場コミュニティ
職場も同じです。かつては、新入社員のために社員寮があり、結婚した若い夫婦のためには社宅が用意されていました。
そもそも、高度経済成長期の結婚を支えていたのは職場結婚でもあります。「腰掛けOL」や「寿退社」などという言葉があったように、当時大企業は、自社の男性社員のために高卒や短大卒の女性を採用していたといっても過言ではありません。
社員同士の絆を深めるという意味での、社員旅行や運動会なども行われていました。ある意味、職場は擬似的な家族だったといえます。
しかし、今では、単に働くだけの場と化しています。