ソロで生きるとは、水のように生きること (4/4ページ)
「接続するコミュニティ」では、安心は状態にあるのではなく、個人が自分の行動の中に見いだすものとなります。
◇「弱い紐帯の強さ」とは
米国の社会学者マーク・グラノヴェッターは「弱い紐帯の強さ」を提唱しています。
有益で新規性の高い情報や刺激は、いつも一緒の強い絆の間柄より、いつものメンバーとは違う弱いつながりの人たちの方だという考え方です。
これからは、今までのどの時代よりも、個人が「弱い紐帯」をたくさん持つ必要が出てきます。その中で、常に複数のコミュニティに接続しながら、新しい刺激を得て、自分を拡張していくという考え方です。
自分を拡張する=自分を変えるということではありません。人とのつながりによって、自然と自分の中に新しい自分が生まれるということです。
古い自分を上書きするのではなく、古い自分も含めて、新しい自分を生み出し、足していくということ。つまり自己の拡張化であり、多層化であり、それが自分の中の多様性となります。
◇所属しない状態を恐れないことが大事
「どこにも所属していない」「みんなと一緒にいない」という状態を極度に不安がる必要はありません。いつも一緒にいなくても、いざとなったら誰かと接続できる。そう思えて安心できることこそが精神的な自立です。
逆にいえば、たとえ集団の中に所属していても、誰とも接続できていないと感じるなら、それこそ孤立している証拠です。
「所属さえしていれば」「みんなと一緒にいれば」という「状態に支配されてしまう思考」こそが、心理的孤立への助走なのです。
■ソロで生きるとは、水のように生きること
ソロで生きるとは、外の世界と自分を遮断することではありません。必ずしも居場所が必須というわけではないのです。必要に応じて、人とつながり、違う考え方とつながり、自分の中に生まれてくる「多様な自分」を育むことなのです。
城壁に覆われた今までの安心な「岩の社会」における「所属するコミュニティ」とは、見方を変えれば牢獄だったのかもしれません。
「上善水如(じょうぜん、みずのごとし)」という言葉、聞いたことがありませんか? 日本酒の銘柄名ではありません。中国の老子の言葉です。意訳すると、「良き人生とは、水のように生きるということ」です。
水は自分の存在を頑なに主張しません。器に応じて自由に形を変えます。低い方へ逆らわず自然に流れていきます。
水のように、柔軟に生きる。それが心穏やかに過ごす最良の生き方だと、すでに2500年前に老子は見抜いていたのでしょう。
ソロで生きるとは、水のように生きるということです。
(文:荒川和久、イラスト:coccory)