四国を統一した戦国大名・長宗我部氏と一文字違い「香宗我部氏」とは?苗字の成り立ちも紹介 (2/4ページ)
土佐国は東西と北の三方を険しい山々に囲まれ、南は荒い海が広がる「陸の孤島」で、古くから流刑地とされるほどの厳しい土地でしたから、ここまで来ればたぶん大丈夫です。
「……とは言え、念には念を入れて身元がバレないよう、ここの地名を苗字に名乗って『昔からここにいました。保元の乱なんて知りません』って顔をしておこう……」
そこで「宗我部(すがべ)能俊」と名乗ったのですが、しばらくすると、困ったことが起こりました。
「おい、紛らわしいから宗我部を名乗るな!」
抗議してきたのは中原秋通(なかはらの あきみち)。養父・中原秋家(あきいえ)から所領の土佐国香美郡宗我部郷(現:高知県香美市)を譲られたため、新たに家を興すべく「宗我部」氏を名乗ったのでした。
※この秋通は甲斐源氏の流れを汲み、実父・一条忠頼(いちじょう ただより)が源頼朝(みなもとの よりとも)に暗殺されたため、父の家臣であった秋家の養子となっていました。
「うるせえ!こっちが先に名乗ったんだぞ!真似するな!」
どっちが先に「宗我部」を名乗ったのかについては諸説ある(例えば、能俊がこっちへ来たのは承久三1221年「承久の乱」後など)ようですが、ともあれこのままでは紛らわしいことこの上ありません。