四国を統一した戦国大名・長宗我部氏と一文字違い「香宗我部氏」とは?苗字の成り立ちも紹介 (3/4ページ)

Japaaan

結局お互い「宗我部」は譲らなかったようで、仕方なくそれぞれの「郡名」から一文字とって頭につけることにします。

能俊は長岡郡から「長」の字をつけた長宗我部(ちょうそがべ)、秋通は香美郡から「香」の字をつけた香宗我部(こうそかべ)と名乗るようになったのでした。

ちなみに、長宗我部は現在「ちょうそかべ」と読むことが多いですが、戦国時代の文献を調べると「チヤウスカメ(興福寺『多聞院日記』)」「Chosugami(ちょうすがみ。ルイス・フロイス『日本史』)」と書かれており、これらを合わせると「ちょうすがめ」と呼ばれていた可能性が考えられます。

一方の香宗我部氏も「こうすがめ」と名乗っていたのか、あるいは文字が似ているので差別化するために「こうそかべ」「ちょうすがめ」と名乗ったのかも知れません。

弟・親泰の助けによって四国統一に飛躍した長宗我部元親。

かくして並び立っていた両家ですが、戦国時代に入ると長宗我部元親の弟・親泰が香宗我部家の養子となったことで長宗我部氏の傘下に入り、元親の片腕として大いに活躍することになります。

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