精神保健福祉士が考えるキューブラー・ロスの死への第3段階「取り引き」 (2/2ページ)
要するに、「最後にもう一度これがしたい」と祈りながら、最期を受け入れることに直結することはないと言う。ではなぜ、取り引きが本人の助けになるのだろう。
キューブラー・ロスは、それを本人が持つ何らかの罪悪感のようなものが関連していると論じている。罪悪感とは、常に神様がいる特定の信仰を持ちながらも定期的にあるいは熱心に教会などに通わず祈ってこなかったことなど、自分の欠点のようなものに由来する。欠点から生じた罪悪感を軽減するため、取り引きをするのだそうだ。取り引きの相手が神や医者である場合、最後の祈りが叶うのなら神に全てを捧げ科学に私を捧げる、そのような構図ができる。その願いが叶ったのち、最期を受け入れるか否かに関わらず、罪悪感については軽減することが可能になるという意味で、助けになる期間であると考えることができる。
■「取り引き」状態の本人との関わり方
この期間は、否認や怒りと変わり、本人の心の中での変化が大きいことや周囲の人が祈りに対しての返答には責任を取ることができないことがほとんどである。そのため、祈りの結果に対しての対応としては、“聞き流す“で良いのだそうだ。知り得ない結果について周囲の人が神や科学の代わりに断言的な返答をすることは、周囲の人にとって精神的な負担となってしまう。ここで推奨される対応を知るには、次の点に着目をするといい。それは、取り引きの期間(祈りが叶うまでの期限)、本人は何でもするという条件を設定しているということである。何でもするという期限を過ぎても約束を守らないのであれば、本人の罪悪感が増してしまう。そのためには、取り引きを実現するためにのみ話し合いをすることが必要となる。本人の希望が叶うよう、一緒に計画を練るのだ。
■寄り添う
取り引きとは、短い期間で決して顕著ではないと述べた通り、2020年に改訂された死ぬ瞬間においては、僅か6ページの構成で成り立っていた章である。これほど短く目立たないとは言え、後悔を残して死ぬ瞬間を迎えてしまうことは、周囲の人にとっても後悔になるのではないかと思えてならない。
「雨を避けられないなら、共に打たれよう。」
筆者(精神科ソーシャルワーカー)が立つ福祉の視点から、科学に基づいた意見ではないことを踏まえた上で、取り引きが実現するよう一緒に祈るのはどうだろうかと考えると、こんな言葉が思い出された。