徳川家康は何故、隠居後に江戸を離れ、「駿府」を最期の地として選んだのか? (2/2ページ)

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実は駿府の地形はこの鎌倉の地とよく似たつくりをしていました。北に赤石山脈が連なり、西に大井川、東に富士川がそれぞれ水をたたえています。また、南には太平洋が広がっています。まさに家康は人質時代の思い出に耽溺するだけではなく、この地の利を知っていたからこそ、この地を隠居場として選んだのだでしょう。

巽櫓 東御門(復元)Wikipediaより

家康が駿府を選んだ理由としては他にも、「大名や使節が拝謁に便利だったから」「避寒の地だったから」など複数挙げられており、それら複合的な要因から、家康が余生を過ごす場所として選ばれたのかもしれません。

参考

“家康が隠居所に駿府(静岡市)を選んだ理由とは!?” 「静岡・浜松・伊豆情報局」 “徳川家康はなぜ駿府城で隠居したのか 調べてみた” 「草の実堂〜いろいろなモノを調べる雑学メディア〜」

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