何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【上】 (3/4ページ)
今後より一層精進せい」
「ありがとうございます!」
以来「たりた」は日下秀雄と称して撃剣興行に励みましたが、その美貌とのギャップもあって、一座の花形となったそうです。
そして明治二十四1891年、同じ一座の吉岡五三郎(よしおか ごさぶろう)と結婚。娘を出産するも、夫が早く亡くなってしまったため「幼な子を抱えて巡業は出来ない」と養女に出してしまいました。
現代人の感覚では「無責任極まる」と非難の一つも上がりそうなものですが、当時は現代と違って避妊もシングルマザー対策も不十分、そもそも自分ひとり食べていくのさえ厳しい時代でしたから、一概に秀雄ばかりを責められません。
夫と娘と別れた秀雄は、悲しみを振り切るかのように武者修行の旅に出て全国各地を飛び回り、「流儀、得物(武器)を問わず」挑戦者を募りました。
「おい、美人の武芸者が立ち合い募集だってよ!」
腕に覚えのある者はもちろんのこと、美女と聞いて下心むき出しの者まで雲霞の如く秀雄に群がったものの、誰一人として勝つことは出来なかったそうです。
さて、さんざん暴れ回って気が済んだのか、明治二十九1896年には帰ってきて直心影流薙刀術の宗家を継承。同年に直猶心流(ちょくゆうしんりゅう)鎖鎌術の宗家・園部正利(そのべ まさとし)と再婚、園部秀雄と名乗りました。