幕末の京都を食べ歩き!麒麟児と称された剣の使い手「伊庭八郎」が愛したグルメたち (2/3ページ)

Japaaan

三条橋に首のない侍の死体」との記述が日記にあるので、京都の治安はかなり悪かったはずです。

伊庭八郎(月岡芳年画)

八郎は4日に一度、二条城に出仕していました。一月のほとんどは非番で、大部分の時間は同僚と「天ぷらを催す」など、思い思いの場所で過ごしています。日記の中でも特に多いのが近場のグルメの食べ歩きに関する記述でした。

ある時には剣術の稽古場で「天王寺千枚かぶ」と遭遇します。日記の翌年には、聖護院から「千枚かぶ」が公式に発売されました。つまり発売前の千枚漬けを食した可能性があるのです。美食に関する、八郎のアンテナが張り巡らされていたことが窺えます。

かぶの千枚漬(写真:みんなの今日の料理)

幕府は超ホワイト企業!? 食費も支給で超高額

幕府は所属する幕臣に「賄い(食費)」を支給していました。

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