元楽天監督・デーブ大久保インタビュー「自衛隊レンジャー訓練が楽に見えた」常勝・西武の裏側

日刊大衆

画像はイメージです
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 黄金時代の西武ライオンズに入団し、巨人に移籍後は“大久保が打てば、負けない”とまで言われた、チャンスに強い打撃とガッツあふれるプレーでファンを魅了した大久保博元氏。

 球界のレジェンドたちとも交流の深い大久保氏に、西武と巨人との違いから大スターたちの素顔、日本一の行方まで語ってもらった。

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ーー1980年代の西武は圧倒的な強さを誇り、まさに常勝軍団の名にふさわしいチームでした。84年に大久保さんは入団をするわけですが、当時の様子は、どのようなものでしたか。

大久保 当時のチームカラーをひと言で表すなら、完全な結果主義。球団代表自ら選手たちに、「うちは優勝以外ない、2位もビリも一緒」と言っていたほどです。日本一になって、ようやくライオンズ。そういった教育に、選手たちも全力で応えていました。

ーーまさに強豪チーム、といった方針ですね。

大久保 よくキヨ(清原和博氏)と話したのは、PL学園に似てるよなってこと。「甲子園に出るのが当たり前で、優勝するのが使命だったんだろ?」って尋ねたら、「まさに、そうです」って言っていた。ただPL学園と違い、プロは職業野球なので、もっと厳しい環境でしょう。

ーー常勝チームには共通する雰囲気がありますか。

大久保 先日、ニュースで、僕らの頃のクラシックユニフォームを、今のライオンズの選手が着ているのが映ったんです。それを見ると、思うものがあって。

ーーユニフォームを見てですか。

大久保 ライオンズは根本陸夫さんが試行錯誤をして作り上げてきたチームです。当初は全然勝てなかったのが、世紀のトレードなどを経て強くなっていった。すると、最初は弱く見えたこのユニフォームが、黄金期に入ってから、相手には相当強く見えたんだろうなって。そんなチームの歴史を垣間見たような気がしましたね。

■鬼のような練習の日々

ーー当時の西武の練習は、どのようなものでしたか?

大久保 練習量は半端じゃなかったですよ。文字通り、朝から晩まで、ずっと。こないだテレビで自衛隊のレンジャー部隊の訓練を見たんです。大げさかもしれませんが、あれが楽に見えるくらい。それほど、西武の練習はきつかった。

ーー12球団で一番、練習していたんですね。

大久保 絶対に負けない自信があります。巨人に移籍したとき、(第2次)長嶋政権の1年目だったかな。バッティングコーチの中畑清さんが、「1日1000回、バットを振ろう」って言ったんです。それを聞いて、「1000回だけでいいの!?」って驚きましたもん。

ーー西武時代は、もっと振っていたんですか?

大久保 1日4000回はバットを振っていましたね。それも、巨人のように素振りやトスバッティングを含めてじゃありません。バッティング練習だけで4000回です。

ーー西武は練習だけでなく、寮生活も厳しかったとうかがっています。

大久保 寮の見回りがあって、酒やタバコはもちろん、カップラーメンですら禁止されていました。門限も厳しくて。そんな中でも先輩たちは気を遣って、よくメシに連れてってくれましたね。ナベちゃん(渡辺久信氏)には、入寮したその日に、門限の破り方を教わりましたよ。

ーー息抜きもされていたんですね。

大久保 もちろん事故が起きない程度にですけれど。仲間うちで男だけの飲み会を楽しんでいました。

ーーそのメンバーは?

大久保 工藤(公康)、笘篠(誠治)、渡辺と、俺。「4兄弟」なんて呼ばれていました。いつも、そのメンバーでご飯を食べて、カラオケに行って。

ーーのちに清原氏も、そこに加わるんですか?

大久保 はい。キヨが西武に入ってきてからは、本当によく遊びました。当時はファーストのレギュラー争いをしていたので、あいつは、俺にとってライバルじゃないですか。でも、遊んでいるうちに、すごいやつだなと素直に感心するようになりました。野球に関することはもちろん、人間的にです。礼節がしっかりしていて、それは、どんなに親しくなっても崩れることがなかった。

 現在発売中の『週刊大衆』11月9日号では、大久保氏が日本シリーズで巨人に注目している理由についても語っている。

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