血清を届けるために吹雪の中を走る!走る!アラスカの町を感染症から救った英雄犬、バルトの物語

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血清を届けるために吹雪の中を走る!走る!アラスカの町を感染症から救った英雄犬、バルトの物語
血清を届けるために吹雪の中を走る!走る!アラスカの町を感染症から救った英雄犬、バルトの物語

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 1925年、アラスカ州北端にあるノーム市で致死率の高いジフテリアが流行し、住民たちが死の危険にさらされた。

 唯一の治療法である血清が、極寒の中、多数の犬ぞりチームのリレーによって届けられ、風雪に閉ざされた町は危機一髪で救われた。

 今でもノームの人々は、そのときに活躍してくれた犬たちに感謝の気持ちを忘れない。この物語は、吹雪の中大役を果たした犬ぞりチームの犬たちと、リレーの最後の区間を輸送したチームのリーダー犬、バルトの物語である。
・血清を届けるため、犬ぞりチームが結成される

 1925年1月、ノーム市の医者は、住民の一部にジフテリアの症状がみられることに気がついた。医師たちが戦々恐々とするのは無理もなかった。1921年までに、この鼻と喉の感染症で1万5000人以上のアメリカ市民が死亡していたからだ。

 治療のほとんどはアメリカの中心部でしか行われていなかったため、ノームを住民を危機に陥れた。ノームの場合、800キロ以上離れたアンカレッジまで行かないと血清治療は受けられなかったが、冬の吹雪が吹き荒れるアラスカの過酷な気候のせいで、飛行機が行き来できる状態ではなく、深刻な状況が差し迫っていた。

 そこで立ち上がったのが、犬ぞりのマッシャー(操縦者)たちだ。

 アンカレッジとノームを結ぶ道は、アラスカの荒野を全行程1,100キロも突っ切って行かなくてはならないが、何度か分割して運べば、それほど時間はかからないはずだ。この深刻な状況では、もう一刻の猶予もなかった。

 1925年1月27日に、マッシャーの"ワイルド・ビル"ことシャノンがこの任務を開始し、犬ぞりチーム20組が結成され、そりに血清を積み込み、ノームまでの厳しい道のりを進み始めた。

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・氷点下50度の過酷な寒さの中、犬ぞりリレーが開始される

 列車でアンカレッジから運ばれた血清を積み込んで、シャノンの犬ぞりチームは、マイナス50℃の極寒の中をノームへと出発した。

 旅の途中で4頭の犬を失い、凍傷で鼻が真っ黒になりながらもシャノンは、この過酷なデリバリーを次のソリに引き継いだ。リレー中継は何度も続き、いよいよ残すところあと2組となった。

 最終組の1組前、レナード・セパラ率いるチームがこれを引き受けた。

 ノルウェー生まれのマッシャーでノーム在住のセパラは、シベリアからハスキー犬のチームを導入し、この過酷な旅に臨んだ。12歳のトーゴーがリーダとなって、最も困難であり、最も長距離の区間を走りぬいた。

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 トーゴーのチームは、凍える吹雪の中、146キロという距離を歴史に残る走りをした。

 凍りついた湖を渡り、リトル・マッキンリー山を越え、マッシャーのチャーリー・オルセンの元へと血清を届けた。

 オルセンは最後の88キロを受け持つガンナー・カーセンにこれを引き継いだ。

 最も困難で最も長い距離を走り抜いたトーゴーはこの過酷なレースでの、もう1匹の英雄である。ディズニーはトーゴーの映画を2019年に制作した。


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・最終区間を走り抜いたリーダー犬、バルト

 そしてついに最終区間に。ここでバルト登場だ。

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 出発前は、この白黒のシベリアンハスキー(アラスカンマラミュートという説もある)が歴史に残る英雄になるとは誰も思わなかっただろう。

 バルトはどちらかというと鈍足でおっとりした犬で、マッシャーが犬をソリにつなぐときに、まず選ばないような犬だったからだ。

 しかし、1925年の冬、カーセンが血清をノームに運ぶ犬ぞりチームの先頭にバルトを選んだとき、すべてが変わった。

 彼らはこの任務を見事に成功させ、2月2日、ノームの医師ウェルチのところへ無事血清を届けることができた。このリレーがスタートしてからわずか6日しかかからなかった。

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 20人のマッシャーと150頭の犬で、1100キロを踏破するとんでもなく過酷な旅だった。そのうちカーセン率いるバルトは最後の88キロを走ったが、バルトの働きは、それは見事だった。

 視界がきかないほどのひどい吹雪にみまわれたときでも、バルトは群れを適切に先導して、コースを外れることは一度たりともなかった。

 ついに、バルトが一番始めに町に入ったとき、血清を待ち望んでいたノームの住民たち、そして世界じゅうがこの勇敢な犬を大いに褒めたたえた。

 バルトの名はすぐに知れ渡り、彼がアラスカから戻った一年後に、ニューヨークはマンハッタンのセントラルパーク内にバルトの像を建てた。

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 バルトは他の犬と一緒にクリーブランド動物園に売られ、1933年3月14日に14歳でその生涯を終えた。遺骸は保存され、オハイオ州クリーブランドにあるクリーブランド自然史博物館で見ることができる。


Balto Documentary (2011)
References:allthatsinteresting/ animalwised / written by konohazuku / edited by parumo
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