ペリーの黒船に忍び込んだ男!?幕末に実在していた最後の忍者・澤村甚三郎 (2/3ページ)
嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航(写真:ウィキペディア)
彼らの多くは平時に大庄屋として村々を取りまとめ、裁判を行うなど、藩の民政に関与する存在でした。この甲斐あってか、幕末まで藤堂藩では一揆は起きていなかったと言います。
日本で最後の忍び働き嘉永6(1853)年、浦賀にペリー率いる黒船艦隊が来航して来ました。さらにペリー艦隊は、翌年の安政元(1854)年に日米和親条約締結のために再度来航します。『隠密用相勤候控』『澤村家由緒書』によると、この時甚三郎にも潜入の命令が下ったといいます。
ただし甚三郎は、忍者装束で潜入したわけではないようです。
安政元年の時に、ペリー艦隊は日本側の人間を艦隊に招待して饗宴を催しています。同時に船内の見学も許していました。甚三郎は、この時に随員の1人として乗り込んだものと考えられます。
ここで甚三郎は艦隊の船員たちから聞き込み調査などを行ったようです。
下船後、甚三郎は黒船の中からある品物を入手して来ました。まずはパン2個。このうち一個は、藩主の息子に求められて献上したと記録にはあります。次いで、タバコ2本とロウソク2本。これらは開港後は珍しい物ではなく、その後紛失したようです。
最後に文書2通を手に入れてきています。その文章もご紹介しましょう。