京都に残る旧色街「五条楽園」。ディープな遊郭・お茶屋の街からレトロで個性あふれる街へ【その2】 (2/4ページ)
もともとは複数の遊郭だったものが、大正時代に合併後は「七条新地」の名前で芸妓(※1)と娼妓(※2が)混在する色街でした。
※1芸妓:踊りや楽曲などの芸で主席の取りもちを行う芸者など
※2娼妓:遊郭や宿で男性に性的なサービスをする女性
しかし、1958年(昭和33年)の売春防止法が施行されたにもかかわらず、五条楽園は色街として存続しました。
そのためか、年頃の娘を持つ京都人は「あそこに足を踏み入れたら、嫁に行かれへんで」と言い聞かせていたそうです。
五条楽園は、男たちの快楽を得られる楽園ではあっても、働く女性たちにとっては金のために肉体を売りらなければならない世界。
一般的には、足を踏み入れづらい場所であることが、五条楽園の闇の部分だったと言えるでしょう。