知れば知るほど面白い胎蔵マンダラ!見方や意味を徹底解説! (4/5ページ)
一方、金剛手院の仏たちは元々武器だった密教の法具五鈷杵を持っていて、持明院には不動明王をはじめ、屈強な明王たちが凄みを効かせて並んでいる。明王は力を持って真理を説く。時には過ちを力でわからせることも必要なのだ。最近は親や教師が子供を叱らなくなっているが、時には雷を落とすことも必要だろう。もちろんその後で、観音のような優しさでフォローしなくてはならない。怒りと優しさの両方が必要なのだ。
このように仏はあらゆる側面から我々を悟りに導いてくれる。そして人は皆平等に悟ることができると知る。なぜ悟れるのか。人間は皆清浄な心を内に秘めているからだ。それが第8レベル「一道無為心」(誰もが等しく清浄)である。
さらにこの層には炎を上げる不思議な三角形「一切遍智印」が描かれている。煩悩を焼き尽くし、第9レベル「極無自性心」を悟らせるという。宇宙・自然の万物すべてに仏のいのちを宿っていることを感じる心である。一般的な仏教の奥義とされ、空海によると密教ではさらに奥のレベルが用意されている。
■胎蔵マンダラの旅:第5層 胎蔵中台八葉院
最後の層である。大日如来を中心に4人の如来と4人の菩薩が鎮座している。おなじみの阿弥陀如来や観音菩薩や弥勒菩薩らもここにいる。しかしただ座っているわけではなく、菩薩は如来に教えを乞うている。これらはいわば仏の世界の日常風景である。仏教の奥義のさらに上にしてはなんということもないが、密教では悟って終わりではないのである。もちろん、空中に浮くわけでも不老不死になるわけでもない。我々は悟ったあと日常に帰る。しかし、何ものにも囚われない自由な心をもって生きていく。もはや「悟り」に囚われることすらしない。空海は「衆生の世界が即ち密厳浄土(大日如来の国)になる」と言っている。これが最終レベル「秘密荘厳心」(自由な心で遊ぶ)のひとつの解釈である。
■意味を知ることの意味
お経にしろマンダラにしろ意味はわからないが、ありがたいものらしいというのが普通である。しかしそれではもったいない。宗派は限られるものの、葬儀や法要の場にマンダラを見かけたら、周囲にこうした見方を話すのも良いかもしれない。