裏切りと身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【中編】

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裏切りと身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【中編】

戦国の三大悪人として名が知られている武将「宇喜多直家(うきたなおいえ)」。今回は【前編】に続き、謀略や調略を駆使して戦国を生きた男の生涯をご紹介する。

前編はこちら

身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【前編】

加熱する謀殺。浦上氏随一の実力者へ

謀略や調略を駆使してのし上げる直家の行動はその後も加熱した。1568年には娘を嫁がせていた備前国(現在の岡山県)金川城主・松田元輝の長男「松田 元賢(まつだ もとかた)」の軍事行動に不満を抱き、事前に妹婿「伊賀 久隆(いが ひさたか)」を調略し、寝返らせた後に金川城を包囲。

結果的に元輝は射殺され、元賢は討死している。知らせを聞いた元賢の正室である直家の娘も自害。松田氏は滅亡した。また、調略して利用した娘婿の伊賀 久隆もその後に急死しており、直家の指示で毒殺された可能性が示唆されている。

同時期には、備前国石山城主であり家臣であった「金光 宗高(かなみつ むねたか)」を、敵に通じている内通者であるという言いがかりをつけ切腹に追い込んでいる。

直家が生まれたとされる岡山県の砥石城跡(といしじょう)

敵味方問わず目的のためならば手段を選ばない直家の勢いは凄まじく、浦上氏家臣団随一の実力者となっていったという。

主君への裏切り

1569年。台頭していた尾張の大名「織田信長」と、播磨国(現在の兵庫県主)の武将「赤松政秀」と結び、主君である浦上宗景を裏切った。しかし、赤松政秀の敗戦や信長の撤退により情勢が傾き、結果的に降伏を余儀なくされてしまう。

本来であれば処刑も免れない罪状であるはずだが、宗景は直家を許し助命している。

懲りない直家は一度目の離反失敗の後、水面下で行動を開始。宗景の兄である政宗の孫「久松丸(ひさまつまる)」を担ぎ出し、自身の領地へ引き入れることに成功する。

1574年。再度の離反を決行。久松丸の擁立と得意の調略によって宗景方の裏切りを煽り、安芸国(現在の広島県)毛利氏の後ろ盾を得た直家は宗景を播磨国へ退けることに成功。備前国と備中国の一部・美作国の一部を支配域に置いた。

【後編】では、直家の晩年と、謀略、調略の信憑性を検証する。

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