伝統宗教の衰退とスピリチュアルの台頭ーー伝統宗教の現状と可能性 (3/3ページ)
死に接して恐怖に怯えたり、悲嘆に暮れる人から、毎日の生活に疲れ、生きるのがしんどい人。そうした人たちにこそ伝統仏教を薦めたい。伝統仏教の良い点としては、まずお金がかからない。僧籍を取得したりするならともかく、勤行をしたり、法話を聞くのは基本的に無料である。寺によっては座禅の会やヨガや瞑想教室などを開催しており、講師を呼んだりする場合にはそれなりの参加費が必要なものもあるが、大抵はお茶代程度のものである。新興宗教の毎月・毎年の諸経費に比べれば微々たるものだろう。そこでは僧侶の話も聞けるし、相談もできる。新興宗教はこうした気軽な距離にいることができない。信徒として入信することが最初の条件となるからだ。こうした長所も先程述べたように積極的な活動を行なっている寺院に限る話ではあるが。
また重要な点として、いたずらに神秘体験などを煽ることなく地に足がついていることが挙げられる。これは何百年の歴史の成果である。伝統仏教(宗教)といえど最初は、怪しげなカルト宗教であった。イエス・キリストは手かざしで病気を治し、水の上を歩いたという。ブッダも悟りを開いた際に「天眼通」(真実を見抜く力)など6種類の神通力を得たとされる。このうち「神足通」は瞬間移動のことで、額面通り受け取ればカルト教団の開祖が自称する奇跡と変わらない。こうした奇跡譚だけを見るなら、歴史上の聖者もカルト宗教の開祖も同様といえる。それが何百年の時を経て理論化され、社会と対話し、常識と非常識との折り合いをつけながら洗練されてきた。悠久の歴史はカルト的要素に対する安全面の保証である。
■伝統仏教の隠れた需要と可能性
伝統宗教(仏教)の歴史は安心安全の保証であると同時に、現代の形骸化につながり、現代スピリチュアルに比べて地味で古臭い印象を持つことにもなっている。しかし悩める人たちが求める受け皿としての可能性はまだ尽きていない。
僧侶によるお悩みサイト「hasunoha」は人気を博しており、質問が殺到して制限をかけることもある。開設した浄土宗・井上広法師は、「風景は背景。あるようで存在していないようなものになっていた」と寺院風景論に言及し、「社会の悩みに対する受け皿になっていない、機能不全に陥っているお寺」への危機感が開設のきっかけだと語っている(参照元)。
風景と言われた伝統仏教だが、風景と言われるほど地域に密着しているとも言えるのである。現行制度に甘えず可能性が広げて頂きたい。生と死の問題に踏み込めるのは最終的には宗教しかないのである。