伝統宗教の衰退とスピリチュアルの台頭ーー伝統宗教の現状と可能性 (1/3ページ)
法要、法事といった伝統的な宗教儀式を行う家が少なくなっている。その一方でスピリチュアルやパワースポットといった分野がブームの段階を終え社会に定着しつつあるが、またその危険性も指摘されている。こうした時代における伝統宗教の役割とは。
■風景と化した寺
スピリチュアル、オカルト、精神世界といった分野は関連する事件も多い。詐欺や集団自殺、「悪魔祓い」などと称したリンチ事件などが報じられることは珍しくはなくなった。オウム真理教に至ってはテロリスト集団であった。そこまでいかなくても、いきなり知人が「神が下りた 」「光が見えた」などと言えば、一歩距離を置きたくなるのは当然である。その反面、人間は人知を超えた何かを求めてしまう存在である。生きることの苦しみ、愛する者の死による悲しみ、自らの死への恐怖。曖昧な非科学的グレーゾーンを廃した科学時代の現代だからこそ、科学で割り切れない存在への憧れは強くなるのかもしれない。だが、こうした事件・事故が起こる度に筆者などは「近くの寺や神社ではダメだったのか」と思ってしまうが、オウム事件の幹部が「日本の寺は風景だった」と話していたことが当時話題になった。検索すると今でも実に多くの仏教関係者が、あれは衝撃だったと口にしている。
■近寄りがたい存在となった寺
筆者はよく、ある大型寺院を参拝するのだが、寺院に入っても周りを見渡しただけで出ていってしまう人もいれば、椅子に座ってしばし時を過ごしながらも、礼拝をせずに退席する人も少なくない。出入口から中を覗いて結局入らない人もいる。この寺院の賽銭箱は玄関からかなり遠い位置に置いてあり、寺に馴染みのない人にとってはあえて前に行くのは中々に勇気が必要なのかもしれない。筆者も教会の前を通り、中に入ってよいものか思案したことがある。その程度のことも門外漢にとっては高いハードルなのだ。この大型寺院はメジャーな観光地でもあり、「ご自由に」との看板があるのでまだマシであるが中規模の寺は敷居が高い。境内はまだしも本堂に立ち入って良いものかどうかわからない寺院は多い。中には「檀家以外お断り」という旨のタテ看板もあるのだから、閉鎖的なことこの上ない。