高倉健の40年来の付き人が明かす!人情にあふれた知られざる素顔
11月10日に七回忌を迎えた“昭和の銀幕スター”高倉健さん(享年83)。『週刊大衆』では、健さんの付き人を約40年にわたって務めた西村泰治氏(81)に、インタビューをお願いした。聞き手は、健さんファンを自負する作家の山平重樹氏。誰も知らなかった、素顔の健さんのとっておきのエピソードをここに紹介する。
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ーー西村社長は、16歳から京都撮影所で働きだして、付き人になられてからは、高倉健さん出演の映画にも登場されていますね。健さんとの出会いについて、教えていただけますか?
西村氏(以下、西) 錦兄い(中村錦之助=当時)の『祇園祭』(昭和43年11月)で、撮影中の健さんを目のあたりにして、うわぁ、こんなカッコええ男がおるんかいなと、背筋を電流が走るほどの衝撃を受けたんですわ。で、矢も楯もたまらず、錦兄いに紹介してもろて、東京・練馬の東映東京撮影所に訪ねていったのが始まりですわ。そしたら、健さん、僕より腰を低うして挨拶してくれはったうえに、握手や。ますますシビれてしもて、そのときから重度の健さん信者ですわ。
ーーあっという間に、親しくなっていったそうですね。
西 旦那(健さん)は京都に来るたびに声をかけてくれるようになって、僕もそれに応え、どこへなりとも、お供しました。憧れの人を前に、僕はいつも直立不動で「はい」「分かりました」と返事するだけ。アホなヤツほどかわいかったのかもしらんですが、8歳下の僕を、最初は「西村さん」と呼び、そのうちに「泰治 」に変わり、最後は「ヤス」になってました。僕のほうは一貫して「旦那」。「ヤス、ちょっと遊びに来いよ」と言われれば、「はい、旦那」とどこへなりとも、いの一番にスッ飛んで行きました。
ーーいつも一緒にいて裏表のない社長に、健さんは心を許されていたんですね。
西 (元妻の)江利チエミさんが亡くなったときも、旦那と一緒でした。葬儀では、マスコミのいない、チエミちゃんの自宅マンションの裏側のほうに回って、静かに手を合わせ、祈っとったんです。旦那はそのまま、そこに1時間近くいたかな。“こうしていれば、オレの心はチエミとつながるんだ”と、ずっと祈っとったわ。
■高倉健と母の家族愛裏話
ーー健さんと一緒に比叡山のお寺に行って、滝行(滝に打たれる修行)までなさって、チエミさんを供養されたとか。
西 真冬の真夜中、旦那と2人で裸になって、ツララの下がっとる滝に打たれるんです。滝に打たれながら、「ナウ マク サン マンダー」とお経を唱え、一心不乱に祈り続けましたわ。
ーー健さんは江利チエミさんのことを、いつまでも心から愛していたんですね。
西 そうやねん。彼女の『テネシー・ワルツ』も、撮影所やワシの家の健さん部屋で、よう一人で聴いてましたわ。『南極物語』(昭和58年、日本ヘラルド映画/東宝)かて、そうや。最初、旦那はかたくなにオファーを断ってたんやけど、チエミちゃんが亡くなりはって、気持ちが変わったんやな。ワシ、吉永小百合さんから説得するように頼まれて、「旦那、チエミさん、今、寒いところに眠ってはるんやろな。ワシ、供養に行きたい思てますねん」て、搦手から攻めて、旦那をその気にさせたんですわ。
ーー健さんは寡黙な印象ですが、義理人情に厚い、優しい方なんですね。お母様のことも本当に大切にされていたそうですが、人気俳優ゆえの葛藤もあったと。
西 お母さんが亡くならはったとき、ちょうど『あ・うん』(平成元年、東宝)を撮影中で、旦那は葬儀にも行かれへんかった。そんとき、「悔しいなあ。役者って因果な稼業だなあ」と、しみじみ漏らして。あんなん、初めてですわ。で、僕は、よし、ほんならワシが旦那に代わって、毎年、お母さんのお墓参りに行こうて決めたんですわ。お母さんの命日に、旦那のお身内とも顔合わさんようにして、京都から朝早うに北九州のお寺に入り、墓参を続けたんです。何年かして、旦那から、「毎年、お袋の命日に墓参りに来てくれる人がいるんだが、どなたか分からないんだ。おまえ、知らないか」と聞かれたんやけど、知りまへんでと、とぼけた。旦那、その人は、きっと鶴の恩返しやっとるんや。見られとうないんや。調べたら、あきまへんでと。
ーーそれで、健さんにはバレなかった?
西 いや、10年目にバレたんや。墓参して九州から京都に帰ってきたら、健さんから電話で「おい泰治、昨日はどこへ行ってた」と聞くんで、女のとこでんがなととぼけたら、「そうか、泰治、長い間ありがとう」や。瞬時にバレとることを悟って、「なんでや!? あれほど調べんな言うてんのに」て、恥ずかしさもあって、旦那に初めて食ってかかったんですわ。そしたら、旦那が、「おまえはオレのボディを10年間打ち続けてきたんだ」と言われたんですわ。泣きましたがな。
知られざる高倉健の素顔の続きは現在発売中の『週刊大衆』12月14日号で。