高倉健の40年来の付き人が明かす!人情にあふれた知られざる素顔 (1/3ページ)
11月10日に七回忌を迎えた“昭和の銀幕スター”高倉健さん(享年83)。『週刊大衆』では、健さんの付き人を約40年にわたって務めた西村泰治氏(81)に、インタビューをお願いした。聞き手は、健さんファンを自負する作家の山平重樹氏。誰も知らなかった、素顔の健さんのとっておきのエピソードをここに紹介する。
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ーー西村社長は、16歳から京都撮影所で働きだして、付き人になられてからは、高倉健さん出演の映画にも登場されていますね。健さんとの出会いについて、教えていただけますか?
西村氏(以下、西) 錦兄い(中村錦之助=当時)の『祇園祭』(昭和43年11月)で、撮影中の健さんを目のあたりにして、うわぁ、こんなカッコええ男がおるんかいなと、背筋を電流が走るほどの衝撃を受けたんですわ。で、矢も楯もたまらず、錦兄いに紹介してもろて、東京・練馬の東映東京撮影所に訪ねていったのが始まりですわ。そしたら、健さん、僕より腰を低うして挨拶してくれはったうえに、握手や。ますますシビれてしもて、そのときから重度の健さん信者ですわ。
ーーあっという間に、親しくなっていったそうですね。
西 旦那(健さん)は京都に来るたびに声をかけてくれるようになって、僕もそれに応え、どこへなりとも、お供しました。憧れの人を前に、僕はいつも直立不動で「はい」「分かりました」と返事するだけ。アホなヤツほどかわいかったのかもしらんですが、8歳下の僕を、最初は「西村さん」と呼び、そのうちに「泰治 」に変わり、最後は「ヤス」になってました。僕のほうは一貫して「旦那」。「ヤス、ちょっと遊びに来いよ」と言われれば、「はい、旦那」とどこへなりとも、いの一番にスッ飛んで行きました。
ーーいつも一緒にいて裏表のない社長に、健さんは心を許されていたんですね。
西 (元妻の)江利チエミさんが亡くなったときも、旦那と一緒でした。葬儀では、マスコミのいない、チエミちゃんの自宅マンションの裏側のほうに回って、静かに手を合わせ、祈っとったんです。