主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

その誓い通り、ある時は戦場で、ある時は行政官として、ある時は外交官として働いた高虎はその活躍を認められ、誰もが認める秀長の重臣にまで昇り詰めました。与えられた領地も2万石という広大なものになっていました。

秀長の兄・秀吉は天下を統一したために、秀長と高虎の地位もそれに引きずられるようにして上がっていったのです。

しかし1591年、敬愛する上司・秀長は多くの人に惜しまれながら病死(享年52)。後を継いだ秀保(ひでやす)も1595年には夭折(享年17)し、秀長の家系は断絶してしまいます。

「もはやこの世に未練はない。僧になって秀長さまの冥福を祈ろう」

世を儚んだ高虎は出家を決意し、高野山に登ったのでした。しかし、高虎ほど有能な士を、世間は放っておかなかったのです。

なお、高虎は秀長を生涯にわたって慕い続けたようです。江戸幕府成立後も幕府の許可を得て、秀長の法事を営み続けていました。

六人目・秀長さまの兄ではあるが

高野山にいた高虎の下に、亡き秀長の兄で、天下人となった豊臣秀吉(とよとみひでよし)から直属の部下として現役復帰しないかという誘いが舞い込みます。

豊臣秀吉肖像

「秀吉さまか。あれほど尽くした弟の家系を断絶させた方ではないか。たしかに後継者はいなかったが、その気になれば養子を取らせるなどして存続させることはできたはずなのに……」

そんな思いがあったのか、なかなか良い返事をしなかった高虎ですが、最終的には承諾し、伊予(愛媛県)宇和島7万石を与えられて大名となります。

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