主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【後編】 (2/5ページ)
「親衛隊になった以上、馬などもしっかりと用意せねば……あれ?」
しかし、領地の追加はありませんでした。
当時の武士は主君から土地を与えられ、そこから得た収入で武器や防具、馬などを自分で用意するのが原則でした。親衛隊になれば必要経費も増えます。が、収入は据え置かれてしまったということです。
「殿、これでは必要経費も賄えません」
直談判するも、信澄からはついに良い返事を得ることができず。見切りをつけた高虎は、信澄の下を去ることにしたのです。
こんな感じで信澄とはイマイチな別れ方をした高虎ですが、本能寺の変によって生じた混乱の中で信澄が命を落とすと、その妻と幼い息子が高虎を保護しています。
さらに後年、信澄の息子は豊臣家に仕えて大坂の陣で徳川と敵対します。豊臣家が滅びると囚われの身となりますが、高虎のとりなしによって命を助けられ、最終的には江戸幕府の旗本となって天寿を全うすることができました。
五人目・ついに巡り合った理想の上司織田信澄の下を去った高虎はしばらくニート生活を送っていたようですが、友人の紹介で羽柴秀長(はしばひでなが)に仕えます。織田信長の重臣であった羽柴秀吉の実弟であり、右腕として兄を支えていた人物です。
秀長は高虎の実力を高く評価し、300石で彼を召し抱えます。
「いきなり給料が3倍に!」
感激した高虎は秀長のために全力を尽くすことを誓います。1576年、高虎が20歳の時でした。