主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【後編】 (5/5ページ)
合計6回の転職で7家に勤めており、確かにこれは当時でも多いほうです。
しかしここまで見てきた通り、人間関係の悪化(あるいは若気の至り)や勤務先の消滅などが転職理由のほとんどでした。
そして、羽柴秀長という仕えるに値する主君を見つけた後は一途に尽くしており、元主君の遺族を保護していることなどから、変節漢どころか義理堅い人物だったと言えるのではないでしょうか。
戦国時代の武士たちは、自らが仕える主君を自らの意思で選んでいました。こいつは実力がないな、こいつは自分を正当に評価してくれないなと思えば、見限るのはむしろ当然のことだったのです。
しかし江戸時代になると
「武士は二君に仕えず」
という倫理観が形成されます。主君がどんなに無能でも、どんなに自分をさげすんでも、一途に仕え続けるのが忠義である、と。
その価値観に従えば、たしかに高虎のキャリアは眉をひそめるものです。しかし所詮は後付けの評価。高虎にそれを言ったところで、鼻で笑われるだけでしょう。
身長190センチ、全身傷跡だらけのマッチョを相手に、そんなことを言える人がいればの話ですが。
ここまで、藤堂高虎の経歴をご紹介してきました。
高虎は己の能力を磨き、これと見込んだ主君のために惜しみなくそれを発揮し、それによって絶大な信頼を得ることができました。その辺りを詳しく見ていくことで、キャリア開発やフォロワーシップといった、現代を生きる我々の参考になる考え方を学ぶことができます。
機会があればその辺りもご紹介できればと思います。
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