“辞めJレジェンド”田原俊彦「みんな辞めるの遅すぎる」金言とスゴすぎ“プロ意識” (2/3ページ)
■昔からひと旗揚げたいと思っていた
「田原さんは、履歴書も持たず、山梨県の甲府から当時六本木にあったジャニーズ事務所の前をウロウロする、という型破りな方法でジャニーさんの目に留まりました。田原さんの家庭は母と子ども4人で、父親を早くに亡くしていて生活が苦しかった。しかし、結果的にそれが“長男としてひと旗揚げたい”という強い気持ちあった”というチャレンジ精神に昇華されたそうです。独立も、そういう強い意志の表れだったのかもしれません」(前出の女性誌記者)
とはいえ、独立後は順風満帆ではなかった。現在でいう“忖度”でテレビの仕事が激減したことに触れて、田原は『文春オンライン』で、
「要するに、”ジャニーズを辞めた人間を成功させちゃいけない”ということですよね。もし僕がジャニーズを辞めて活躍してたら、”俺も行けるな”という子がきっと出てくる」
としながらも、
「逆に、叩かれて“よーし”って燃えた部分もあったよ。僕にはジャニーさんから教わったスキルがいっぱいあるし、歌って踊ったら誰にも負けない自信もあった」
と、やはりチャレンジ精神を滾らせていたことを明かしている。
■どこまでもマイケルを目指した
「田原さんがここまで自分に自信を持つことができたのは、やはりジャニーさんの存在が大きかった。田原さんはマイケル・ジャクソンを敬愛していますが、これは田原さんが15歳のころ、ジャニーさんが、“ユー、これにならなきゃダメよ”と、ジャクソン5のビデオを見せられながら言われたのがキッカケなんです」(専門誌記者)
ギンギラのソックスやボルサリーノの帽子など、マイケルのファッションや、 “ムーンウォーク”など、マイケルのセンスを得ようと若き日の田原は奮闘。