どんな無理でも通してみせる!戦国時代、武田信玄に仕えた武士・縄無理之助 (2/5ページ)
天文17・1548年生まれ)の子と言われます(諸説あり)。
しかし、それだと活動年代が合わないため、顕宗の父である那波刑部大輔宗俊(ぎょうぶのたいふ むねとし)の子か、あるいは顕宗と同年代の親族とも考えられます。
さて、那波一族は永禄3年(1560年)に「越後の龍」こと長尾景虎(ながお かげとら。後の上杉謙信)の関東出兵に際して所領を追われてしまい、まだ元服したかしないかの宗安は、武田信玄(たけだ しんげん)の元へ仕官しました。
「ふむ、見どころがありそうじゃ」
「お取り立て下さった御恩に報いるため、いかなる無理でも通して見せましょうぞ!」
と意気込んだ宗安は、荒縄を編んだ陣羽織を特注し、いつもそれを着用していました。繊維がゴワゴワして、とても不快そうです。
「何ゆえ、左様なモノを召されるのか」
家中の朋輩がそう訊いたところ、宗安はドヤ顔で答えます。
「それがしは御屋形様に『いかなる無理でも通して見せる』とお約束いたした。そこで『縄を全身にまとわせようと、我が無理を止めることまかりならぬ』ことを示すのじゃ」
那波の名字と縄をかけたダジャレ……以来、宗安は「縄無理之助」と名乗ります。しかし大言壮語をするだけあって武勇については確かなもので、数々の合戦で武功を上げ、周囲を感嘆せしめました。