藤波辰爾、輪島功一…格闘技「世紀の一戦」を本人が激白! (2/3ページ)

日刊大衆

“あんな危ない技をやりやがって”というね。でも、ゴッチさんには“あれでいい、よくやった”と褒められました」

 この戴冠劇は日本でも放映され、凱旋帰国後、藤波はドラゴンブームを巻き起こす。その後ヘビー級へ転向し、スター街道を驀進するかに思われたが、意外なライバルが出現する。

■藤波辰爾のベストバウト

 82年10月8日、藤波とタッグを組んだ長州力が「俺は、おまえの噛ませ犬ではない」と反旗を翻したのだ。2週間後、2人は広島で一騎討ち。これが「名勝負数え唄」の始まりだった。

「あの頃は長州を“この野郎!”としか思えなかったね。あれから2~3年、彼とは口もきかず、顔を合わせるのはリング上だけ。それだけ、お互いプロに徹していたから、あれだけ試合が白熱したんです。あの生の感情のぶつけ合いが、新日本プロレスですよ」

 また新人時代に付き人を務めた師・猪木とは何度も闘っているが、88年8月8日、横浜で60分フルタイム闘い抜いた一戦が「僕のベストバウト」と胸を張る。

「あのとき、猪木さんは引退間近ということもあり、ヘタな試合はしたくなかった。試合が決まってからは走り込みや食事制限、コンディションの調整に気を遣いましたね」

 肉体をベストな状態に保つこと。それは、ゴッチから学んだプロレスの奥義の一つだった。
「技も、まずはコンディションありき。おかげで、初めて猪木さんの動きを見る余裕があった。自分が出せるものは出し切ったという満足感もありましたね。

 ゴッチさんはテクニックの人と思われがちですが、まず口にするのがコンディションの重要性。

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