明智光秀は本能寺の現場にいなかった?「実行犯は重臣たち」古文書を解読 (3/3ページ)
攻め込み)……」
と言った記述ですが、兼見本人が現場にいた可能性は低く、周囲の噂(※例えば「明智の軍勢が攻め込んだ」など)を聞いて「明智の軍勢と言うなら、光秀が率いているに違いない」と思い込んだ可能性もあります。
終わりに「果報は寝て待てと申す。戦さは我らが致すゆえ、御大将はドンと構えて下されい」本能寺襲撃を前に。歌川豊宣「新撰太閤記」より。
「うぅむ……内蔵助(くらのすけ。利三)らはまだ落とせぬか!」
「殿、落ち着かれませ……あっ、寺より火の手が上がっておりまする!」
「おぉ!でかした……!」
もしかすると光秀本人から見た「本能寺の変」はこんな感じだったのかも知れず、今後ドラマなどの描写が、大きく変わってくるかも知れませんね。
今後、史料の精査による真相の解明が期待されます。
※参考:
明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に:朝日新聞デジタル
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