A級戦犯と呼ばれている7人はどのようにして最期を迎えたか (2/3ページ)
■広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎の最期
花山が仏間に戻ると次の3人が連行されてきた。広田弘毅、板垣征四郎(1885 〜1948)、木村兵太郎(1888〜1948)である。第32代総理大臣 広田は他の受刑者の中にあって異質な印象を受ける。実家は禅宗で、広田本人も死刑を前にある境地に達していたようである。花山との面談でも「何もありません、自然に生き、自然に死ぬ」と多くは語っていない。彼らもまた万歳三唱をしたあと、やはりにこにこ笑いながら挨拶をして刑場に向かった。
■静謐な死
彼らの死に共通することはその静謐さである。小林広忠は凶悪殺人犯の執行の様子と比較して、「その死に方は悠揚としており、りっぱである。いや、りっぱすぎるといっていい。」「彼らの死に様は、あまりに静謐すぎる」と驚嘆の思いを込めて書いている。
■無様な死
小林は凶悪犯3人の最期の様子を挙げている。女性8人の命を乱暴した上に殺害した死刑囚(1976年執行)は、執行間際までは平静を装っていたが、執行時にはへたりこみ刑務官が両脇を抱えて刑場へ向かったという。
一家四人を殺害し金を盗んだ死刑囚(1955年執行)は刑場の仏間では大人しかったが目かくしと手錠をかけられると、「助けてくれ!」と激しく叫んだ。
親子3人と男性2人を刺殺した死刑囚(1982年執行)は最後まで謝罪の言葉を口にせず、大暴れをした挙げ句、格闘のすえ執行された。これらのエピソードが事実ならなんとも無様であり、被害者の無念を考えれば相応の最期とはいえる。
■死刑という死の迎え方
しかし、無様と書いたが彼らが特別ではない。死刑執行を前にすれば普通の人間のほとんどは無様になるだろう。死刑は最も恐ろしい死の迎え方である。病死の場合は大抵、闘病の末のゴールである。死の恐怖より病の苦痛が上回ると思われ、あるいは死は安らかな救いですらあるだろう。意識が混濁して生死の区別もつかない事もある。いずれにしろ病死は斬新的な死であるといえる。自殺も覚悟ができているし、戦場に至ってはまともな精神状態ではなく、ある意味「ハイ」になっているといえる。