A級戦犯と呼ばれている7人はどのようにして最期を迎えたか (3/3ページ)
これらに対して死刑は生に執着するごく普通の精神状態の人間がある日突然連行され、いくつかの次第を経て首に縄がかかる。刑は淡々と執行される。筆者がその立場ならやはり、自分の手にかかった被害者の恐怖と無念など棚に上げて、へたりこみ泣き叫ぶに違いない。それが普通の人間である。では「戦犯」はなぜ静謐を保てたのか。
■誇りと気高さ
彼らは軍人であり政治家であった。明治になり身分・階級としての武士は滅んだが、当時の軍人・政治家が武士階級に相当する。「戦犯」とされた軍人・政治家の潔さは武士道のそれである。とはいえ、「武士道とは死ぬことと見つけたり」などというが死が怖くないはずがない。怖いからこそ、武士はそれを乗り超える境地を目指したのである。
彼らの死に様は、フランス革命によって市民たちに処刑された、フランス王妃 マリー・アントワネット(1755〜93)の最期を連想させる。彼女はギロチンを目の前にしても凛とした気高さを保っていたという。最期の言葉は、ギロチン台を登る階段で足を踏んでしまった執行人への「お許しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ」だったと言われる。彼女はギロチン台の前まで来ると、自分で頭を振り帽子を落としたとも言われる。
白装束に身を包み超然と歩く王妃マリーと、暴徒と化した市民の対比は、事の善悪とは別に「誇り」や「気高さ」の有無を感じさせる。死を恐れるのは人間の根っこであるが、死を克服するのは人間の高みである。死を前に超然とした態度を示せるのは「誇り」「気高さ」を身につける教育を受けた貴族や武士ならではのものだろう。生きるのに精一杯な民草がそれを学ぶには時間も余裕もない。武士や貴族は実用的なモノは何も作り出さないが精神の高みを教えてくれるのである。
■石碑に宿る精神
かつての巣鴨プリズンの跡地には現在、サンシャイン60が立っている。そしてサンシャインシティ横の東池袋中央公園の一画、処刑場跡には「永久平和を願って」と刻まれた石碑が建立されており花などが供えられている。花といえば、フランス革命を描いた漫画「ベルサイユのばら」のアニメ主題歌には、名もなき花はただ咲いていればいいが、バラは気高く咲き、美しく散る定めだという内容の歌詞が綴られている。彼らの「罪」についての評価は個々によって異なるだろうが、最大の恐怖を前に凡人には及ばない高い精神性を体現した。若者たちの目には止まらない地味で静かな石碑はその証なのである。
■参考資料
■小林広忠「巣鴨プリズン」中公新書(1999)
■花山信勝「平和の発見 巣鴨の生と死の記録」方丈堂出版(2008年度版)