A級戦犯と呼ばれている7人はどのようにして最期を迎えたか (1/3ページ)
人は死を前にして本性が出ると言われる。「A級戦犯」と呼ばれる7人の死に様とはどのようなものだったのか。なお「戦犯」という呼称、いわゆる「東京裁判」の正当性などの歴史問題については今に至るまで論争が絶えず、見解を述べるのは筆者の手に余る。本稿では死刑執行を前にした人間の心について考えたい。
■「A級戦犯」の死刑は、12月23日に巣鴨プリズンで執行された
1948年12月23日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は敗戦国日本の戦争に加担したとする「戦犯」を収容した「巣鴨プリズン」にて、便宜上「A級」と区分けした7人の指導者層の死刑を執行した。時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)の誕生日を選んだのは偶然ではないだろう。この日、東條英機(1884〜1948)、広田弘毅(1878〜1948)、土肥原賢ニ(1883〜1948)ら7人の「A級戦犯」が絞首刑に処された。その最期を看取った教誨師が浄土真宗本願寺派僧侶・花山信勝(1898〜1995)である。花山は「BC戦犯」27人の処刑も看取っている。
■浄土真宗に帰依した東條英機
第40代総理大臣 東條英機は花山に影響を受け、浄土真宗に帰依した。その後は独房で「浄土三部経」などを読み念仏をする毎日となった。執行前日、明日の執行を告げられた東條は「死ぬ時期は、いい時期だと思います」と述べ、国民に対する謝罪、「平和」の捨て石となり得ること、陛下に累を及ばさないことなどを告げた。そして阿弥陀仏に帰依したことで、「喜んで死んでいける」と語っている。
■東條英機、土肥原賢ニ、武藤章、松井石根の最期
執行当日。東條は土肥原、武藤章(1892〜1948)、松井石根(1878〜1948)と共に連行された。東條は希望した日本酒ではなかったが、ブドウ酒を一口飲み、ご機嫌だったという。4人は万歳三唱をして、監視の将校たちに「ご苦労さん、ありがとう」と言葉をかけた。将校たちは歩みよって握手を交わしたという。そして彼らは、にこにこ微笑みながら刑場に消えた。花山が仏間に戻る間に刑は執行された。執行の直前まで「南無阿弥陀仏」の念仏が絶えなかったとのことである。