齋藤飛鳥個人PV「齋藤飛鳥 電波ジャック中」「飛鳥マウス、街にあらわる」を重ね合わせると見えてくるもの【乃木坂46「個人PVという実験場」第15回2/5】

日刊大衆

齋藤飛鳥
齋藤飛鳥

乃木坂46「個人PVという実験場」

第15回 既存の表現を自身の表現とする方法論 2/5

■視聴者である我々のいつもの姿をなぞる

 おおよそ5分前後に設定された個人PV一本分の尺は、既存の映像コンテンツを軽やかにパロディ化してみせるうえで効果的だった。もっとも、個人PVを介してそうしたベクトルを志向するとき、作り手の想像力は単にひとつの既存ジャンルをなぞるだけにとどまらない。複数の水準の映像を横断しながら、視聴者が誰しも体験したことのある感覚を再現するような作品もまた登場する。

https://www.youtube.com/watch?v=M7v5-lEX5w8
(※齋藤飛鳥個人PV「齋藤飛鳥 電波ジャック中」予告編)

 乃木坂46のデビュー2年目、7枚目シングル『バレッタ』に収録された戸塚富士丸監督、齋藤飛鳥主演「齋藤飛鳥 電波ジャック中」は、架空の映像コンテンツのパーツを次々に展開させていく個人PVである。齋藤はCS局の専門チャンネルの告知や保険会社のコマーシャル、ヒットマンらしき人物を主役にした映画やサスペンスドラマといった体裁のフェイク作品群のことごとくで主役を演じていく。

 もっとも、この作品の勘所は齋藤が主演する架空の作品群それのみではない。テレビの深夜帯に見かけるカラーバーに始まり、あたかもザッピングしながら各チャンネルを断片的に見ていくような構成は、我々の生活の中にごく自然に存在するメディア視聴体験そのものの上演といえる。齋藤がさまざまなコンテンツに遍在し複数の役をパフォーマンスすること自体の面白みの背後にあるのは、視聴者自身が日々、惰性で行なっているような習慣を指し示すような企てである。

 一方で、個人PVにとって重要な役割の一つは、メンバーに演技者としての機会を設けることだが、作中に登場する架空作品それぞれに用意された細かな趣向によって、齋藤は短時間でさまざまな役柄を演じることになる。

 今際のきわの一言をしつこく繰り返してみせるコメディ的な展開や、同一のカットと人物配置のまま少しずつシチュエーションを変えて撮り直すさまを連続して見せるなど、どこかで実際にありえそうな架空のCM設定は、演者の微細な揺れを映すものとしても興味深い。また、目の前に現れたスイッチにおもむろに手をかけると不測の事態が生じるストーリーのCM映像では、彼女独特の飄々とした空気感をすでに看取することができる。

■個人PVの設定が現実のものになっていく

 これらはまた、デビュー2年目でまだ演者として豊富なメディア経験を積む以前の彼女が、もしもさまざまなメディアでアイコンを演じるような存在だったとしたら――、という仮定のサクセスストーリーを想像させるものでもあった。

 だからこそ、のちに乃木坂46のセンターポジションを経験し、グループ自体もかつてイメージできなかったほどの有名性を獲得していく過程で、再度「CM」というコンセプトとリンクしてみせた2017年の個人PV「飛鳥マウス、街にあらわる」を「齋藤飛鳥 電波ジャック中」と重ね合わせるとき、そこには重層的な意味が生まれる。

https://www.youtube.com/watch?v=crWQVzDsrD8
(※齋藤飛鳥個人PV「飛鳥マウス、街にあらわる」フルバージョン)

 乃木坂46が出演するマウスコンピューターのCMを明確に踏まえたスピンオフ的な作品であり、客演にシソンヌ長谷川忍を招聘したこの個人PVは、グループそのものがすでにかつてとは異なるステージに立っていることを物語る一作である。かつて「齋藤飛鳥 電波ジャック中」においてあくまで架空の設定であった、“いくつものメディアでアイコンを演じる存在としての齋藤飛鳥”は、この2017年には現実のものになっている。

 いずれも齋藤飛鳥が主演し、「CM」という同一の着想源から生まれたこれら2つの個人PVをつなぐ3年半という期間のうちには、乃木坂46というグループが、そして齋藤飛鳥という演者が社会的な位置づけを変化させ、着実に飛躍してゆくプロセスがうかがえる。

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