主君を幾度も変え一兵卒から大出世を遂げた戦国武将・藤堂高虎に学ぶ能力開発 (3/4ページ)

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そして手柄を立てると主君から領地を与えられ、兵を率いる身になっていきます。領内統治のノウハウや戦術指揮能力は必然的に求められるようになり、実務を通じて身に付けていきますが、ここまでは誰もが通る道。

しかし高虎の場合は、少し事情が違いました。

築城技術

1576年、20歳の高虎は羽柴秀長の家臣になります。

藤堂高虎

秀長は、当時織田信長の下で出世街道を突き進んでいた羽柴秀吉(後の天下人・豊臣秀吉)の実弟にして右腕。高虎も秀長と共に戦場を駆け回り、新たに獲得した領地を治め、敵味方諸将との折衝に従事しますが、そんな多忙な日々の中で安土城を始めとした城郭の建造に携わることも少なくありませんでした。

高虎はもともと戦闘要員として採用されたので、築城なんかやってられるか……とはならず、積極的にノウハウを学んでいったようです。

「城の構造を知ることは、城を落とす際にも役に立つ。一石二鳥じゃないか」

くらいのことは考えていたのかもしれません。

また、どんなに素晴らしい城を設計しても、実際に建てることができなければ意味はありません。実際に城を築くフェイズは職人たちに委託することになります。

当時は近江(滋賀県)や大和(奈良県)に高い技術を持った職人集団がいたようですが、近江は高虎の地元であり、大和は主君・秀長の領地。地縁を活かし、高虎は彼らとの関係築いていったようです。

かくして高虎は、1585年には築城の責任者を命じられるまでに成長します。

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