行方不明だったバイキングのルーン石碑が下水道から発見される(スウェーデン)

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行方不明だったバイキングのルーン石碑が下水道から発見される(スウェーデン)
行方不明だったバイキングのルーン石碑が下水道から発見される(スウェーデン)

行方不明だったルーン石碑が発見される image by:Arkeologerna

 2020年12月、スウェーデン、イースタッドの町近くで、現代の下水道が敷設されている付近の半分凍った土を考古学者たちが掘り返していたところ、奇跡的な発見があった。

 力強く獰猛なオオカミの姿が精密に刻まれた大きな長方形のルーン石碑が出てきたのだ。このオオカミは、北欧神話でフェンリス(またはフェンリル)として知られている。

 この石碑は18世紀以降行方不明になっていたバイキング時代に建てられた有名なフンヌスタ石碑群のひとつであることがわかった。
 フンヌスタ石碑群は、かつてイースタッドの北西数マイルのところにあったもので、絵や文字が刻まれた絵画石碑やルーン石碑が垂直または水平に置かれた石の集合体だ。

 だが、見る目がなく理解のない地主のせいで離散してしまい、18世紀以降は行方不明になっていた。

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下水道のそばで見つかった石碑と考古学者のアクセル・クロー・ハンセン
image credit:Annika Knarrstreom / Arkeologerna

・有名なルーン石碑がなぜ埋もれてしまったのか?

「まったく信じられません。ごく普通の発掘作業だったのですよ」と言うのは、スウェーデン国立歴史博物館の考古学者、アクセル・クロー・ハンセン。

「まず、18世紀の層から磁器のかけらやレンガがいくつか見つかりました。少し注意して掘らないと、ルーン石碑が見つかるかもしれないからね、と冗談を言っていたんです。そうしたら突然、目の前にホンモノが出てきたんです」

 驚いたことに、どうやらこの石はフンヌスタ石碑群から取り除かれ、遥か昔に近くの川にかかる橋の礎石として使われていたようだ。

 もともと8つあった石碑群の石の4番目に回収された石ということになる。あとの3つは現在、ルンドにあるクルトゥーレン文化史博物館に展示されている。今回、新たに発見された石もまもなくこれに加わることだろう。

「わくわくするようなすばらしい発見です。こんなことが起こるとは考えもしませんでした」スウェーデン国家遺産局のルーン文字の専門家マグヌス・カルストロムは言う。

「この発見によって、芸術、宗教史、考古学など、いくつかの分野で、多くの新たな知識が得られることでしょう」

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18世紀から行方不明になっていた、ユニークな絵が刻まれた石
image credit:Annika Knarrstreom / Arkeologerna

・10世紀から14世紀に建てられたフンヌスタ石碑群

 18世紀に解体されてしまったが、フンヌスタ石碑群はスカンディナヴィアでもっとも有名なのバイキング時代の貴重な遺跡のひとつだ。

 1643年にフンヌスタ石碑群を訪れたデンマクの探検家でアンティーク愛好家のオーレ・ワームの描いた詳細なスケッチによって、その存在は間違いないことが証明された。

 この石碑群は、スウェーデンの南岸、イースタッドの町からおよそ12キロのところにあったMarsvinshomeという土地に建てられた。

 スウェーデンの領地だったが、この土地はもともとはデンマーク王室が所有していた場所で、17世紀に建てられ、今日も存在する見事な城がある。

 フンヌスタ石碑群は、10世紀から14世紀の間に建てられたとされ、オーレ・ワームがスケッチしたときは、建設から数百年は建っていたことになる。

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オーレ・ワームが描いたフンヌスタ石碑群のスケッチ
image credit:public domain/wikimedia

 ワームが描いたスケッチによると、フンヌスタ石碑群は全部で8つの巨石で構成されていた。5つは垂直に建っていて、3つは地面に水平に並んで横たわっていた。5つの石には、詳細な絵が彫られていて、2つにはルーン文字も刻まれている。

 残念なことに、この石碑群は1780年代に、当時、Marsvinshomeの土地を所有していたスウェーデンのエリック・ルースという伯爵によって、解体されてしまった。

 いくつかの行方は今日もわからないままだが、絵が刻まれた3つの石は(ルーン文字が刻まれた2つ
の石も)幸いなことに、1814年、Marsvinshome城の中で発見された。

 ルーン文字を解読したところ、石碑群はグニ・ハンドという男のふたりの息子AsbjornとTumiによって、亡くなったHroirとLeikfrodrという兄弟たちを偲んで建てられたものだという。のちにTumiも亡くなり、Asbjornが彼を偲んで最後の8番目の石を刻んで建てた。

 死者を悼むという意味もあってか、文字が刻まれていない3つの石には動物と、動物と人間が混合した生き物の絵が描かれている。こうした絵は、北欧神話の大切なテーマで、とくに地球から死後の世界など別の世界への移行を完了する変換プロセスと関連している。

 文字や絵を刻んだ石碑を建てて死者を悼むのは、バイキング文化では一般的なことだった。現代社会でも、死者が眠る場所になにかを刻んだ墓石を建てる習慣は続いていて、それほどかけはなれたことではない。しかし、グニ・ハンドの息子たちがこの場所に埋葬されていることを示す証拠はない。

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ヴァリャーギ親衛隊の兵士らしき絵が刻まれたフンヌスタのルーン石碑DR283
image credit:Hedning / WIKI commons

・ヴァリャーギ親衛隊が刻まれたルーン石碑

 石碑に描かれたもっとも興味深い絵は、HroirとLeikfrodrを称えて刻まれたもので、おそらく最初に置かれた石と思われる。

 長いコートを着て、角のついた兜を被り、鋭い斧をふるう、長身で誇り高い男が描かれている。その外見や武器から考えると、この人物はヴァリャーギ親衛隊に所属していたのかもしれない。

 ヴァリャーギ親衛隊とは、フンヌスタ石碑群が建てられたのと同時代にビザンティン軍に所属していた精鋭部隊だ。スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド出身の金で雇われたバイキング兵士たちで構成され、疲れを知らない獰猛な戦士として有名で、引く手あまただったという。

 彼らの一部は、ビザンティン皇帝を守るために配備されたが、ほかは戦場につぎこまれた。ヴァリャーギ親衛隊に選ばれ、奉仕することは非常に名誉とされ、地位に応じて高給をもらえたので、その威光はさらに高まった。

 フンヌスタ石碑群の彫刻からは、これ以上の詳細がわからないため、描かれているのが誰なのか、個人を特定することはできないが、もしかしたら、グニ・ハンドの亡くなった息子のひとりなのかもしれない。あるいは、グニ・ハンド自身の可能性もある。

 いずれにしても、石碑群の存在と、ヴァリャーギ親衛隊との明らかなつながりは、デンマーク王室の血統子孫であった可能性が非常に高いハンド家の高い地位を表わしている。

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スウェーデン、クルトゥーレン文化史博物館に展示されている、フンヌスタ石碑群のルーン石碑DR282
image credit:Hedning / WIKI commons

・フンヌスタ石碑群、謎のパズルの最後のピースか?

 今のところ、フンヌスタ石碑群の彫刻のある石のひとつだけがまだ見つかっていない。最近、発見された石は橋の建設のために使われていたので、行方不明の石も同じ目的のために使われたのではないかと推測される。

 もしそうなら、イースタッドの発掘を続ければ、また驚きの発見があるやもしれない。そうすれば、考古学者や歴史学者がフンヌスタ石碑群の謎のパズルを完成させることができるかもしれない。

References:arkeologerna / ancient-origins/ written by konohazuku / edited by parumo
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