戦国時代、殺された恋人の仇討ちをした悲劇の烈女・勝子の最期【後編】

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戦国時代、殺された恋人の仇討ちをした悲劇の烈女・勝子の最期【後編】

前回のあらすじ

戦国時代、尾張国(現:愛知県西部)の織田信勝(おだ のぶかつ。信長の弟)に仕えていた侍女の勝子(かつこ)は、恋人の津田八弥(つだ はちや)を殺した仇・佐久間七郎左衛門(さくま しちろうざゑもん。信辰)が美濃国(現:岐阜県南部)にいるとの情報を入手。

さっそく美濃の大名・斎藤竜興(さいとう たつおき)夫人の侍女として仕えることに成功した勝子は、仇討ちのタイミングを虎視眈々と狙います。

そんなある日、斎藤家中で流鏑馬(やぶさめ)大会が開催され、そこに七郎左衛門も出場すると聞いた勝子は、千載一遇のチャンスと匕首(あいくち。短刀)を懐に忍ばせるのでした……。

前回の記事

戦国時代、殺された恋人の仇討ちをした悲劇の烈女・勝子の最期【前編】

七郎左衛門へ渾身の一撃…「夫の仇、本日ここに報じたり!」

さて、いよいよ大会当日。勝子は選手として出場する七郎左衛門に接近するべく、流鏑馬の矢取(やとり。射放たれた矢を回収し、選手に返す役目)を申し出ます。

「ふむ。面白い……此度の流鏑馬は、女子(おなご)どもにも所役をやらせよう」

本来、神事である流鏑馬は女人禁制でしたが、矢取や采振(ざいふり。矢が的中したことを知らせる役)、扇役(選手の出走を合図する役)程度なら支障あるまいと竜興は侍女たちを各所に配置させました。

流鏑馬に出場した七郎左衛門(イメージ)。

これで準備万端、果たして流鏑馬が始まりました。勝子は七郎左衛門の番を待ち構え、的の脇に控えます。

「的中!」

小気味よく的が割れ、観衆から喝采が上がる……よもや自分の命を狙う者がすぐそばにいるとは夢にも思わぬ七郎左衛門は、のびのびと矢を射放ち、見事に的中させました。

(……その自慢顔も、今日限りじゃ……!)

七郎左衛門の矢を拾った勝子は、その場でへし折りたくなるのを堪えて回収に来るのを待ちます。

(さぁ、来い……!)

果たして七郎左衛門がやって来て、騎馬のまま勝子の差し出す矢を掴み取りました。が、勝子は放しません。

「おい、寄越せ!」

七郎左衛門が矢を掴む手に力を込めた瞬間、勝子は思い切り矢を引き下ろし、態勢を崩した七郎左衛門は落馬してしまいました。

「あ痛っ……!」

次の瞬間、勝子は懐中に忍ばせていた匕首を抜き放ち、七郎左衛門の胸元目がけて振り下ろすと、刃の先が肉をえぐり、骨を削る感触が伝わります。

(手ごたえあり!)

「ぎゃあ……っ!」

とっさの出来事に会場は騒然となる中、勝子は血に濡れた匕首を振りかざし、大音声に名乗りを上げます。

七郎左衛門を馬から引きずり下ろそうとする勝子。『婦女必読 修身事蹟』より、「勝子夫の仇佐久間七郎右衛門(原文ママ)を報する図」

「我こそは、尾張織田家にその名も高き津田八弥が妻、勝子なり!この佐久間七郎左衛門に討たれし夫の仇、本日ここに報(ほう)じたり!」

愛する夫を奪われた怨みをすすぐため、気丈に本懐を遂げた勝子ですが、仇討ちの大義があろうと人を殺してしまったショックはいかんともしがたく、呆然と立ち尽くしていたところを忽ち捕らえられてしまったのでした。

生きていた七郎左衛門と、佐久間一族の執拗な要求

「……あの端女(はしため。身分の低い女性)、断じて許すまじ!」

怒り狂って勝子の引き渡しを求めたのは、尾張にいた七郎左衛門の兄・佐久間右兵衛尉信盛(さくま うひょうゑのじょう のぶもり)……残念ながら七郎左衛門は助かったものの、自分たちに刃向かって来たことが許せません。

一方、斎藤家としても別に匿ってやる理由もないし……と、勝子の身柄を引き渡そうとした竜興でしたが、それを察した竜興夫人によって、勝子は逃がされていました。

「さぁ、こちらへ!」

勝子が匿ったのは三河国(現:愛知県東部)の領主・大須賀五郎左衛門尉(おおすが ごろうざゑもんのじょう。康高)。見事に仇討ちを果たした勝子を大いに賞賛し、断固として守り通す旨を主君・徳川家康(とくがわ いえやす)に伝えます。

勝子を匿った大須賀康高(左)と徳川家康(右)。Wikipediaより。

「うむ。夫への深い愛情と仇討ちを果たした堅い意志は、男子(おのこ)にも勝る立派なもの……そんな彼女を、卑怯未練の連中に引き渡しては武門の恥辱ぞ!」

しかし、勝子が三河国にいると知った佐久間一族は執拗に引き渡しを要求し、それが通らないとなると、今度は主君である織田信長(のぶなが)を通じて圧力をかけてきました。

(※)勝子の旧主(庇護者)である信勝は、この時すでに信長によって暗殺されていたものと思われます。

信長は家康の「盟友」とは言いながら、その実態は主従関係にも等しく、織田家がその気になれば、徳川家など一ひねりです。

「さぁ、返答やいかに!」

「うぅむ……」

どこまでもゲスな連中に従いたくないのはやまやまですが、ここで逆らったら、勝子一人のために一族郎党に地獄を見せることになる……。

「それでも、彼女は渡せぬ!」

いっときの保身を図って生き永らえたとて、一度信義を曲げれば心ある武士たちからは見放され、ついには哀れな末路をたどることに変わりはない……それなら、どんな地獄にでも立ち向かおうではないか。

「……五郎左(康高)よ。彼女を安全なところへ連れてゆけ。織田家には『逐電(ちくでん。失踪)した』と伝えておく」

「ははぁ」

自害する勝子(イメージ)。

康高が勝子の居室へ向かうと、彼女は自刃しており、遺書には「自分の存在が、大恩ある徳川家の重荷となるのは耐えられない。一撃をもって本懐を遂げた上は、夫の後を追って逝きたい」との旨が綴ってありました。

エピローグ

勝子の死を悼んだ家康らは、彼女の義烈(ぎれつ。義によって死んだ心意気)を激賞し手厚く葬ったそうですが、要求に応じなかったことで織田家と軋轢を生じ、その後の築山殿(つきやまどの)事件に発展してしまったのかも知れません。

以上が江戸時代の逸話集『明良洪範(めいりょうこうはん)』などの伝えるところですが、人物設定などに矛盾の生じるところが多く、その史実性には疑問が残ります。

恐らく、当時起こった仇討ち事件を伝える上で、注目を集めるべく歴史的に有名な人物を当てはめた、一種の歴史物語と言ったところでしょう。

それでも大切な人を奪われた理不尽に、泣き寝入りすることなく復讐を成し遂げた勝子の心意気と、それを理解して最後まで守り抜こうとした家康たちの覚悟は、現代の私たちに深い感動を与えてくれます。

※参考文献:
保田安政『婦女必読 修身事蹟 全』目黒書店、1891年11月

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