戦国ファン必見!その名も「武田信長」というインパクト最強な武将が実在した (2/5ページ)

Japaaan

いわゆる「上杉禅秀の乱」に信満が加担し、信長も参戦しますが、父が討死すると甲斐国は無政府状態となり、国人勢力の逸見(へみ)氏、穴山(あなやま)氏、跡部(あとべ)氏らが権力の座を奪い合って大混乱に陥ります。

「おのれ、父の死に乗じて好き放題を!甲斐国守護は、嫡男たるわしが継ぐのじゃ!」

まだ17歳ごろの若い信長でしたが、その通称を悪八郎(あくはちろう)と呼ばれたほどの豪傑で、海千山千の国人衆らと渡り合い、一進一退の攻防戦を繰り広げたのでした。

武田信虎。信玄に追放された暴君として悪名高いが、甲斐国を統一する100年越しの偉業を成し遂げた英雄でもある。

※その後、甲斐国は信長より4世代子孫の武田信虎(のぶとら。信玄の父)によって再び統一されるまで、100年以上にわたって分裂状態が続きます。

ただし、室町幕府から見れば信長も父に加担した謀叛人であることには変わりなく、甲斐国守護は信満の弟である武田信元(のぶもと。当時、兄の叛乱に際して出家していた)が任命されました。

「守護職はわしのものじゃ、叔父の還俗など、断じて認めぬっ!」

信長は他の国人勢力と一緒になって(ただしそれぞれの仲は険悪)、還俗して京都から帰ってきた信元の甲斐入国を阻み、応永27年(1420年)には死闘の末に信元を討ち取りました。

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