戦国ファン必見!その名も「武田信長」というインパクト最強な武将が実在した (3/5ページ)

Japaaan

「よし、これで守護職はわしのものじゃ!」

……と思った信長ですが、幕府が任命した守護を殺すのは叛逆以外の何ものでもなく、応永30年(1423年)には信長の兄・武田信重(のぶしげ。叔父と一緒に出家していた)が甲斐国守護に任命されます。

「父の謀叛を恐れて出家したくせに、我が兄とは言え、甲斐国守護になど認めてたまるか!」

という訳で、信元の時と同じく他の国人勢力と一緒になって信重の甲斐入国を妨害し続けた信長ですが、今度は信重に対して鎌倉公方からの全面バックアップがあり、奮闘するも敗れて降伏。しぶしぶ鎌倉府へと出頭したのでした。

甲斐国への復帰ならず、各地を転戦して上総国へ

「おのれ、無念じゃ……!」

信重の口添えもあったのか、命ばかりは助けられた信長は、鎌倉で8年ばかり屈従の日々を送ることになりますが、永享5年(1433年)には鎌倉から出奔、甲斐国へ戻って再び叛旗を翻しました。

「今度こそ、甲斐国守護に!」

しかし甲斐国内はすでに信重が(統一できていないとは言え)勢力基盤を固めており、つけ入る隙のないまま跡部氏に敗退した信長は、駿河国(現:静岡県東部)へと逃亡、しばらく行方をくらませます。

※一説には室町幕府に仕えて武功を立て、相模国(現:神奈川県の大部分)に勢力基盤を築き上げて同国の守護職に任命された(嘉吉2・1442年ごろ)とも言われていますが、間もなく上杉氏によって守護職を奪われてしまいます。

「かくなる上は、いったん遠方にて態勢を立て直そう……!」

そこで今度は下総国(現:千葉県北部)まで逃れ、古河公方の足利成氏(あしかが しげうじ)に仕えます。

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