軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【後編】 (1/2ページ)
日本三代怨霊に数えられる「崇徳天皇(すとく)」は、悲運の中で生涯を閉じた天皇として知られている。今回は【中編】に続き、配流された末に罪人として命を落とした崇徳天皇の生涯をご紹介する。
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軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【前編】 軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【中編】 保元の乱1156年7月。後白河天皇派の夜襲によって開戦。戦力は後白河天皇派が圧倒的に有利であったが、崇徳上皇派は寡兵ながら善戦する。しかし、結果的には敗北し、崇徳上皇は出家した後に投降、頼長は戦死した。
戦に勝利した後白河天皇は崇徳上皇の配流を決定。天皇や上皇の配流は約400年ぶりの事であり、後白河天皇派の風説や威圧によって半ば強制的に挙兵させられた崇徳上皇としては屈辱的な結末となった。

