戦国時代に栄華を誇った帰雲城、天正大地震で一夜にして忽然と姿を消す (2/5ページ)

Japaaan

その証左として、為氏入国後に数ヵ所の金山が発見されました。

為氏はこれらの鉱山経営によって財を成し、義政や将軍家の財政基盤の一つとなったと言われています。銀閣寺の造営においても、為氏の財が使われたようです。

銀閣寺(ウィキペディアより)

応仁元(1467)年、応仁の乱が勃発します。このとき、為氏は兵を率いて上洛しています。依然として京の将軍家との関係は続いていたようです。応仁の乱によって、戦国時代が始まります。

飛騨国でも一向宗に属する照蓮寺が力を力を増していました。照蓮寺の教信上人は還俗して三島将監となり、諸国から武士を動員していきます。

為氏はこの事態を看過することはありませんでした。

文明7(1475)年、内ヶ島勢は照蓮寺を攻めます。結果三島将監と弟の明教を自害に追い込み、その鎮圧に成功しました。戦後、本願寺の門主・本願寺蓮如を仲介として照蓮寺と和議を締結。照蓮寺の再興を許した上で、同寺を内ヶ島氏の支配下としました。

以後の内ヶ島氏は、当主が雅氏隣る時代まで本願寺と友好関係を結んでいます。

大永年間には、内ヶ島家は越中国への本願寺勢力の防衛に出動。天分年間には美濃国へ侵攻し、本願寺証如から撤兵を依頼されるなど足並みを揃えています。

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