戦国時代に栄華を誇った帰雲城、天正大地震で一夜にして忽然と姿を消す (1/5ページ)
日本各地には、いまだに数多くの「埋蔵金伝説」が存在ます。
飛騨国(岐阜県北東部)の白川郷中心部にあった、帰雲城(かえりくもじょう)もその一つ。
戦国時代、内ヶ島一族は同地から越中国(富山県)まで勢力を築きます。さらに多くの金山を支配下に置き、小大名ながら潤沢な経済力を誇りました。
しかし一大勢力を築いた内ヶ島一族は、ある日突然にして歴史上から姿を消してしまいます。
彼らに一体何があったのでしょうか。
帰雲城と内ヶ島一族について見ていきましょう。
天正大地震発生以前の帰雲城飛騨国の内ヶ島氏は、猪俣氏、或いは楠木氏を発祥とすると伝わります。
室町時代、内ヶ島季氏は京の室町幕府第3代将軍・足利義満に奉公衆として馬廻を務めていました。馬廻は将軍家の親衛隊ですから、余程の家柄と能力、将軍からの信頼があったと見ることが出来ます。記録から、8代将軍・義政の代にも為氏(季氏)は足利将軍家に仕えています。
この時代、為氏は義政の命を受けて飛騨国に入封。白川郷を本拠として、向牧戸城を構えました。足利義政が内ヶ島氏を白川郷に入封させたのは、金山や銀山などの鉱山開発にあったと伝わります。