ミスターから清原和博、イチローまで!日本列島が涙したプロ野球「魂の一打」 (3/5ページ)
私も一度、コーチャーの立場を忘れて、万歳しながらホームまで一緒についていってしまったことがあるからね(笑)。あの日の試合後は、後楽園だったこともあって、チームでは特に何もしなかったんじゃないかな。これが遠征先だったら、宿舎で、ちょっとした宴会にはなったかもしれないけどね」
“巨人史上最高の助っ人”との呼び声も高いクロマティも忘れ難い。86年10月3日のヤクルト戦で、尾花高夫から放った決勝のグランドスラムは劇的だった。
「クロマティは、前日の試合で頭部に死球を受けたばかりで、近くの慶応病院に入院中だった。そんな彼が病院を抜け出してベンチ入りしたうえ、代打で出てきて満塁弾ですから、もはや漫画の世界です。王さんがわざわざ出迎えに来て、抱き合っていた姿も印象的でした」(前同)
■“お祭り男”が真価を発揮
続く90年代では、94年の日本シリーズで、“愛憎の盟友”巨人・桑田真澄から、西武・清原和博が放った2打席連続弾が出色だ。
「清原自身、桑田とは3度目の直接対決となったシリーズですが、監督となったミスターとの初顔合わせでもありました。“4勝2敗でウチが勝つ。もう決まっている”といった長嶋節の予言も次々に的中し、4連敗の90年からは一転、終始、巨人が主導権を握りました」(在京スポーツ紙デスク)
そんな憧れの存在を前に、一人気を吐いたのが、他ならぬ清原だった。森祇晶監督の退任がシリーズ中に報じられるなどチームに不協和音が響く中、球界屈指の“お祭り男”は4本塁打と、その真価を発揮する。
「第1戦では対桑田としては自身初となる先制弾。大量リードを奪われた第5戦でも、バックスクリーンへ意地の2打席連続弾と、常勝軍団の4番らしい貫禄を見せました。ただ、やはり大きかったのはミスターの存在でしょう。