大軍を率いるのは一苦労!明智光秀の作った軍法がまるで戦国時代版「おかしの約束」

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大軍を率いるのは一苦労!明智光秀の作った軍法がまるで戦国時代版「おかしの約束」

小学校のころ、避難訓練で「おかしの約束」について指導されたことを記憶しています。

お…押さない
か…駆けない
し…喋(しゃべ)らない

みんなで避難する時、早く逃げたい一心で前のお友達の背中を「押」してしまうと、将棋倒しになって怪我してしまうリスクがあります。

同じく、みんなと歩調を合わせずに「駆」け出してしまうと、やはりお友達とぶつかってしまうため危険です。

そして、緊急事態の不安を紛らわせたくてお友達と「喋」っていると、先生たちの指示などを聞き逃してしまうかも知れません。

おかしの約束。学校によって「戻らない」「泣かない」を加えた「お菓子もな」と指導されているところも。

だから「押さない、駆けない、喋らない」を徹底するべく、それぞれの頭文字をとって「おかしの約束」が指導されたのです。

こんなの小学生の話でしょ?と思われるでしょうが、この原則は大人にも通用するもので、戦国時代の武士たちも戦場のルールとして採用していました。

そこで今回は、2月7日(日)に最終回を迎える大河ドラマ「麒麟がくる」で、その生涯が描かれている、明智光秀(あけち みつひで)が定めたと言われる「明智光秀家中軍法(あけちみつひでかちゅうぐんぽう)」より、戦国時代版「おかしの約束」を紹介したいと思います。

明智光秀のお約束「陣中では勝手にしゃべらない」

第1条 陣中(備場)において、役者を除いて大声を出したり、雑談したりしてはいけない。戦闘中の合図(其手賦)やかけ声(鯨波)なども、命令なく勝手に上げてはいけない。

(※意訳。以下同じ)

役者とは役職にある者、つまり指揮官クラス(侍大将、足軽大将など)の武将を指し、そうでない雑兵がめいめい勝手に声を上げたり、退屈だからと雑談や歌などに興じたりすることを禁じています。

この時代、庶民≒雑兵たちの娯楽と言えば小歌(伝統的な大歌に対する当世の流行歌。現代で言うJ-POP)に浄瑠璃、早物語(はやものがたり。話芸の一種)と言ったものが流行っており、中には楽器まで持参する手合いもあったそうです。

「こらっ、お前ら完全に戦う気ないだろ、ちったぁ緊張感ってものをだな……!」

こうなると陣中あちこちで即興カラオケ大会が始まってしまい、もう戦どころではありません。そうでなくても、雑談は往々にして(楽観的or悲観的な)思い込みからデマを生み出すもので、

「おい。そろそろ稲刈りの時期だから、もうすぐ撤退するみたいだぜ」

「ウチの大将、敵方へ寝返ろうとしているみたいだぜ」

……など、ロクなことにならないのが相場です。

それでは、いざ合戦が始まって、やる気満々の者が声を上げるのはいいかと言うと、これまた注意が必要で、声の大きな者が張り切ると、時として声の小さな大将を圧倒してしまい、いつしかその者が部隊を仕切ってしまうことになりかねません。

鬨(とき)の声を上げるにしても、大将が「えい、えい!」と言ってからはじめて「おう!」と声を限りに応じるべきです。これは合図にしても同様で、戦場における指揮系統の混乱は、部隊を危険にさらしてしまうことを肝に銘じるべきです。

明智光秀のお約束「いきなり駆けない、仲間を押さない」

第三条 各部隊は足並みを揃え、前後の部隊と連携して陣を乱さないこと。鉄砲・槍・旗指物などは所定の置き場所を守ること。

第五条 いざ戦闘が始まっても、あくまで大将の下知に従って戦うこと。規律を乱す振る舞いがあれば、身分を問わず処罰する。たとえ手柄を立てても帳消しにはしないから覚悟せよ。

「おせーよ、何チンタラ歩いてンだよ。先に行かせろよ!」

渋滞の時など、そんな感じでイライラしているドライバーが結構いますが、戦場では各部隊が持ち場を守り、連携することが勝利をつかむ基本となります。

「前の連中、遅えなぁ。この馬に乗って、カッコよく一番槍をキメてぇなぁ」「馬鹿言うでねぇ。馬取の分際で」

中には血気に逸って前の部隊よりも先に出ようとゴリ押しして喧嘩に発展した例もあったようですが、仲間同士で争っているようでは、とても敵に勝つことなど叶いません。

こういう時、フィクションだと主人公が抜け駆けして、一時はピンチに陥るも逆転大勝利を収めて罪も許され……なんてパターンもありますが、ほとんどの場合よくて討死、悪ければ味方も巻き込んでの大損害を出すのがオチ。

にもかかわらず若気の至りで夢ばかり見て突っ走る者が多いから、大将らは「つまらんスタンドプレーに走らず、持ち場を守って力を合わせろ」と口を酸っぱくするのです。

また、現代でも5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)などと言われるように、よい仕事にはよい道具とその扱いが不可欠で、槍や鉄砲などの置き場所もきちんと守るように指導しているのは、光秀らしい細やかさなのでしょうか。

明智光秀のお約束「兵士への食糧配給や、家臣たちへのノルマなど」

ちなみに「明智光秀家中軍法」とは後世の命名で、本来の書名は「定 条々(さだむ じょうじょう≒決めごと色々)」とあり、全18条のうち第1~6条までが陣中における規律、第7条は兵士の食糧配給について、第8~18条までは家格=石高に対する軍役(兵士や武具などの調達ノルマ)が示されています。

【兵士の食糧配給基準】
原則として、一度の出陣に対して京マスで三斗を光秀から支給する。
遠征の場合は同じく京マスで二斗五升(2.5斗)を支給し、各領主(光秀の家臣たち)から一日あたり八合(0.8升)を支給する。

京マスとは文字通り京都で作ったマスで、地方によって違うマスの大きさを京都基準に統一することで「明智様に従えば、とりあえずこのくらいは貰えるな」と見積もれたことでしょう。

「ほうれ、たんと食え」「さすが御屋形様の馬ともなれば、俺たちよりよっぽどいいモン食ってンな」

支給された食糧については給料なので、一度に食べる量やとっておく(戦が終わったら、家に持ち帰る)かなどは自分の裁量で決めていたようです。

【家格に対する軍役】
100石以下…兵士6名
101~150石…兜をかぶった者1名、馬1頭、指物1本、槍1本
151~200石…兜をかぶった者1名、馬1頭、指物1本、槍2本
201~300石…兜をかぶった者1名、馬1頭、指物2本、槍2本
301~400石…兜をかぶった者1名、馬1頭、指物3本、槍3本、のぼり旗1本、鉄砲1丁
401~500石…兜をかぶった者1名、馬1頭、指物4本、槍4本、のぼり旗1本、鉄砲1丁
501~600石…兜をかぶった者2名、馬2頭、指物5本、槍5本、のぼり旗1本、鉄砲2丁
601~700石…兜をかぶった者2名、馬2頭、指物6本、槍6本、のぼり旗1本、鉄砲3丁
701~800石…兜をかぶった者3名、馬3頭、指物7本、槍7本、のぼり旗1本、鉄砲3丁
801~999石…兜をかぶった者4名、馬4頭、指物8本、槍8本、のぼり旗1本、鉄砲4丁
1,000石…かぶった者4名、馬5頭、指物10本、槍10本、のぼり旗2本、鉄砲5丁

ちなみに、馬乗(馬に乗れる者)については2名とカウントされましたが、第4条に「進軍に遅れた場合は領地を没収し、場合によっては成敗する」とあるように、インチキな申告がバレた場合は大きなペナルティが課せられたようです。

「こらっ、お前ら!雑談をやめろ!話を聞け!」

「先に取り決めを作っただろう!どうしてお前たちは守らないんだ!」

こういう細かなルールなどから、とかく神経質(よく言えば繊細な)キャラに描かれがちな光秀。

しかし、実際はここまで細かく言わないと守ってくれず、隙あらば規律を乱そうとする雑兵たちのフリーダムさこそ、光秀に厳しい軍法を作らせた一因だったのかも知れませんね。

※参考文献:
盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』洋泉社、2016年9月
藤木久志『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』朝日選書、2005年6月

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