2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった (2/4ページ)

Japaaan

日魯通好条約の条文。クリル諸島(千島列島)は得撫島より北であると明記している。Wikipedia(写真:World Imaging氏)より。

この日魯通好条約によって、日本とロシアの国境が択捉島とその北にある得撫(うるっぷ)島の間に設けられ、北方領土が国際的に日本の領土であることが確定されたのです。

奪われた北方領土

しかし、昭和20年(1945年)に日本がアメリカはじめ連合国軍との戦争(大東亜戦争太平洋戦争)に敗れ、当時中立を保っていたソ連に和平交渉の仲介役を頼んだところ、

「日本は戦う意思を放棄した」

と判断。ならば日本が降伏してしまう前に北海道を攻め奪ってしまおうと8月9日、日本に対して宣戦布告します。

ソ連は帝政ロシア時代からずっと「不凍港(冬になっても凍らない港)」を欲しがっており、ヨーロッパ(地中海)への進出を断念してからというもの、東方への進出を試みて来たのでした(かの日露戦争も、それが遠因となっています)。

ソ連軍は当時日本領だった南樺太(サハリン)や千島列島などに攻め込み、日本がポツダム宣言を受諾し、完全に降伏した後も戦闘を続けました。

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