2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった (3/4ページ)

Japaaan

樺太を南北に分けていた日ソの国境線。Wikipediaより。

9月5日までに北方領土は全域ソ連に奪われてしまったものの、現地の日本軍は果敢に抵抗。侵略のスピードを遅らせたことでアメリカ軍が先に進駐、辛うじて北海道への上陸は阻止します。

その後、昭和26年(1951年)にサンフランシスコ講和条約を締結した際、日本政府は南樺太と千島列島(クリル諸島)を放棄しますが、先述のとおり北方領土は千島列島に含まれないため、いぜん日本の領土として返還を求めているのです。

※そもそも、放棄した南樺太や千島列島にしても、日本の主権下におかれなくなっただけであって、ソ連(ロシア)に譲るとは決まっていません。

終わりに

こういう話を紹介すると「しょせん世界は弱肉強食、強い者が弱い者から奪うのは当然だ」「文句があるなら、また戦争で奪い返せばいい」などと主張する自称リアリスト(現実主義者)がいますが、そのセリフは火事場泥棒や押込み強盗と何が違うのでしょうか。

現に、北方領土の日を制定するに当たって「ソ連が中立を破棄して攻め込んで来た日にすべきだ」「いや、北方領土を完全に奪われた日にすべきだ」などの意見もあったようで、いずれも「あの屈辱を忘れるな!」というメッセージが少なからず支持されていました。

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