日本の喪服が「黒」になったのは意外と最近のこと、かつて日本の喪服は「白」だった (2/3ページ)

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その理由は?

昔の日本人が白い喪服を着ていたことは『日本書紀』や、日本の様子を記録した中国の歴史書『隋書倭国伝(7世紀頃)』などに見られます。

喪服が白だった最大の理由は、遺族が「死者の白装束と同じ色」の着物を着ることで、「死」の悲しみを身内の内だけにとどめるという意味合いがあったからです。

奈良時代の中期頃になると、橡染め(つるばみぞめ)に代表される黒染めの技術が発達したこともあり、天皇や貴族は薄墨色の喪服を着るようになりましたが、白い布を染める余裕のなかった庶民は相変わらず白い喪服を着用し続けていました。

そのため庶民の間では長らく喪服の色は白が主流でしたし、貴族の力が弱まり武家政権となるにつれ、上流階級の間でも再び白の喪服が着用されるようになっていきました。

喪服が黒くなったきっかけは明治維新と戦争

明治時代になると、日本に欧米の文化が入ってきます。喪服の色も、政府の要人などの葬儀では諸外国からの来賓に合わせ、欧米の標準だった黒が使われるようになっていきました。

たとえば、初代内務卿となった大久保利通の葬儀(1878年/明治11年)では、政府が諸外国の国賓に合わせるため参列者に黒い喪服を作らせました。

また孝明天皇の女御で明治天皇の嫡母だった英照皇太后の大喪(1897年/明治30年)でも、英国王室式の黒い喪服を着用した欧米からの参列者に合わせて日本の参列者も黒を着用しただけでなく、庶民も黒の喪章をつけて喪に服しました。

庶民の間にまで「喪服=黒」が浸透したのは、日中戦争、太平洋戦争と戦争が続くようになった時代でした。

戦時中は毎日のように戦死者の葬儀が行われていたため、白の喪服では汚れやすく手入れが大変だったことは、想像に難くないでしょう。

当時の喪服は多くが貸衣装だったため、貸衣装屋も汚れの目立たない黒の喪服を揃えるようになりました。

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