「なぜ?」「どうして?」…伝説のお笑いコンビ「解散」真の理由

日刊大衆

島田紳介
島田紳介

「くやしいです!」などのギャグで活躍したお笑いコンビ『ザブングル』(加藤歩松尾陽介)が、3月末での解散を発表した。

「2019年に反社会的勢力への“闇営業”に参加していたことが発覚し、約2か月間活動停止に。その後、復帰を果たし、さぁ、再出発というところで新型コロナの感染拡大で仕事が激減。ツッコミの松尾が、次の人生を歩み出すなら、今がラストチャンスと、解散を決意したとのことでした」(芸能記者)

 この突然の発表には、お笑い評論家のラリー遠田氏も驚いたという。

「07年にはM -1の決勝にも進出した実力者で、加藤さんは『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)では“魔王”と呼ばれて異彩を放ち、松尾さんも『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の人気企画“運動神経悪い芸人”に欠かせない存在ですからね。闇営業とコロナのWパンチは、本人たちも予想していなかったのではないでしょうか」

 思えば、1980年代の漫才ブームを牽引したお笑いコンビの多くも、ブーム終焉後、コンビでの活動に終止符を打っている。

『週刊大衆』ではそうした伝説、現役を含め、お笑いコンビの「解散」にまつわる“ドラマ”を追った!

 80年代初頭の漫才ブームのリーダー格として人気・実力ともに頂点を極めた、『横山やすし西川きよし』は、86年にきよしが参院選に出馬して当選すると、コンビの仕事が激減。

「やすしは、きよしとの漫才という生きがいがなくなり、酒量が増え、周囲とのトラブル、不祥事が増えていきました。89年、バイクでの酒気帯び運転で人身事故を起こし、吉本興業はやすしとの専属契約を解除。これが事実上の解散でした。その後も、酒を断つことができずに、96年、アルコール性肝硬変により、51歳という若さで、この世を去ることになりました」(スポーツ紙演芸担当記者)

 きよしが出馬せず、コンビを続けていたらと、つい考えてしまうが、「きよし本人は“やすしは(出馬を)一番に後押ししてくれた”とも話しています。当人たちにしか分からない真実がありそうですが、せめて、もう一度だけでも、2人の漫才を見てみたかったものです」(前同)

■『島田紳助・松本竜介』『漫画トリオ』『ザ・ぼんち』円満解散は?

『島田紳助・松本竜介』は、85年に解散を発表。

「リーゼントヘアに、つなぎの作業着姿での“ツッパリ漫才”で大ブレイク。漫才ブームが落ち着き、紳助にテレビタレントとしての仕事が増えて竜介とのコンビ格差が広がる中、突如、解散会見を開きました。“このままではオール阪神・巨人や太平サブロー・シローに勝てへんのちゃうか”と、限界を感じながら過ごす中、まだ無名だったダウンタウンの漫才を目の当たりにし、“俺らの時代は終わった”と確信し、解散を決意したと会見で紳助は話しました」(芸能記者)

 ちなみに、この紳助が師と仰いだ上岡龍太郎は、もともと横山パンチとして横山ノック、フックとの『漫画トリオ』で60年代に一世を風靡。68年にノックの政界進出を機にトリオを解散し、話芸にさらに磨きをかけ、関西を代表するタレントになった。

「80年代後期になって東京に進出し、“芸能生活40周年で隠居”の公約通り、2000年4月に余力を残して引退するまで、第一線で活躍し続けました」(前同)

『ザ・ぼんち』(ぼんちおさむ・里見まさと)はピーク時、全国をヘリコプターで移動するほど多忙だったが、ブームが沈静化した1986年に解散した。

「仕事が減ったことよりも、多忙すぎて芸の消耗が激しかったことが解散の大きな理由でした。そんな2人が、休止期間を挟んで2002年に再結成したのは、自然なことだったのかもしれません」(同)

 今も、全国の劇場で元気に「おさむちゃんで~す!」の大声を響かせている。

 解散劇の裏には、知られざる“覚悟”と“思い”がある。2月15日発売の『週刊大衆』3月1・8日号には『ツービート』や『猿岩石』などの解散劇も紹介している。

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