本多劇場グループ総支配人・本多愼一郎「演劇の街・下北沢の現状とこれから」

日刊大衆

本多愼一郎(撮影・弦巻勝)
本多愼一郎(撮影・弦巻勝)

 現在、私たちは“演劇の街”下北沢に、『本多劇場』をはじめ、8つの劇場を持っています。そして、その統括をするのが総支配人の仕事です。

 各劇場の支配人からの報告や、劇団の方とのやりとりを集結して、そのときに最も良い判断を下すわけですが、その判断というのがなかなか難しい。

 たとえば、小さめのキャパで公演を行った劇団が、次はもっと観客が入る劇場で公演したいと希望されたとき。一番いけないのは、無理をしたことで劇団の経営が立ち行かなくなってしまうことです。でも、安全策ばかりを取っていたら、劇団の成長を止めることにもなりかねない。だから、非常に悩みます。

 劇場のメンテナンスも大切な仕事です。使っていればあちこちガタが来ますし、劇団の方から「こんなものがあるといい」と提案も受けます。それらを一つ一つチェックして、やるべきことを決めていきます。

 子どもの頃から父(本多劇場グループ代表・本多一夫氏)に連れられて、芝居を観に行ったりしていましたが、そのときは正直、父がどんな仕事をしているか、よく分かっていませんでした。

 本多劇場ができたのは、私が小学校3年生のとき。その後、次々と新しい劇場をオープンさせていったので、なんとなく「劇場を建てる人」なのかなと(笑)。ただ、分からないなりにも、自分は父の後を継ぐんだろうなとは思っていました。

 でも、あるとき突然、父に「おまえ、ここに行ってこい」って言われて、行ってみたら劇団青年座のオーディション会場。生まれて初めてセリフというものを読み、見よう見まねでダンスをして。気がついたら劇団の研究員としてレッスンを受ける身になっていました。

 周囲は、本気で演劇がやりたくて入ってきた人ばかり。研究所では、演劇を志す人の気持ちや、芝居を作る過程をつぶさに体験させてもらいました。それは今の仕事に役立っていると思いますね。

 その後、研究所を終えてしばらくすると、またもや父から突然、「支配人の空きができたから、おまえがやれ」と言われ、それ以来、劇場運営に関わることに。最初に支配人を務めたのは、「劇」小劇場でしたね。

■「データだけを眺めていても、良いものは生まれません」

 それから私は20年以上、演劇と下北沢の街を見てきました。現在、再開発で下北沢の象徴だった駅前マーケットが消えて、小田急線が地下に潜り、この間まで住宅だったところが古着屋になっています。

 さらに今はコロナ禍で、演劇界も、芝居の後に一杯飲む店も、みんな非常に苦しい状況です。

 しかし、状況が変わっても、下北沢という街は生きています。商いをしている人たち、住んでいる人たち、演劇人、音楽関係の人たちがこの街を忘れない限り、下北沢は故郷のように、みんなを包み込んでくれると信じています。

 私のこれからの目標は、誰もが気軽に演劇を楽しんでいただけるようになることです。

 たとえば、聴覚障がいの方から、「演劇に行ってみたいけど、観に行ける公演がほとんどない」という声をいただくことがあります。だから耳の不自由な方でも楽しめるよう、字幕や手話通訳がある公演ができないかを考えていますし、他にも子どもたちが、子ども向けではない演劇に触れられる機会も作ってみたい。少し前からそんな取り組みを始めています。 こんな時代ではあるけれど、劇場運営に限らず、大事なのは「人と人との対話」だと思っています。

 データだけを眺めていても、良いものは生まれません。ちゃんと対話して、劇場にとっても、劇団にとっても、そしてお客さまにとっても、より良い演劇を作り出していけたらと思っています。

本多愼一郎(ほんだ・しんいちろう)
1975年生まれ。東京都出身。劇団青年座研究所にて演技を学んだ後、桐朋学園演劇科を経て、本多劇場グループに入社。現在は総支配人として、“小劇場演劇の聖地”と呼ばれる本多劇場をはじめ、8つの劇場を束ねる。また、劇場設備や運営に関するアドバイザーとしての顔も持つ。

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