「肉じゃが」はビーフシチューのアレンジレシピだったの? 考案者はあの英雄!?

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「肉じゃが」はビーフシチューのアレンジレシピだったの? 考案者はあの英雄!?

「昔ながらのおふくろの味」、 実は…

「肉じゃが」といえば、日本の家庭料理の定番として知られる料理の1つです。

「男性が彼女に作ってもらいたい料理」として必ず上位にランクインするなど、昔ながらの「日本のおふくろの味」のイメージが持たれています。

しかし肉じゃがは、実はそれほど日本の昔ながらの伝統料理ではない上、「おふくろ」とは正反対のイメージの場所から誕生した料理だったってご存知ですか?

それどころか「ある洋食メニューのアレンジレシピとして作られた」、または「元々そのメニューの失敗作だった」なんて説もあるくらいなのです。

いったいどういうことなのでしょう?

日本の軍人を悩ませた病「脚気」

「肉じゃが」が誕生したのは、男性が女性に求める「おふくろ」のイメージとはおよそかけ離れた「ザ・男の世界」と言うべき、明治時代の旧帝国海軍でした。

当時の日本では、ある病気が大流行していました。大流行といっても、現在我々を悩ませている新型コロナウイルスのような感染症ではありません。タンパク質やミネラル分が不足することによって起こる「脚気」でした。

脚気の大流行は旧帝国陸軍にとっても例外ではなく、戦死ではなくこの病気によって命を落とす兵士も少なくありませんでした。

しかし幸いなことに、この頃になると脚気の原因が当時の日本の肉をほとんど食べない食生活にあるということが、海軍軍医の高木兼寛の研究によって判明していました。高木氏が留学していたイギリスでは、日本のように脚気は流行していなかったのです。

そこで提案されたのが、軍人たちの食事を肉を使う洋食メニューに変えること。しかし当時の日本人は洋食に慣れておらず、海軍の中にも「バタ臭い」という理由で嫌う兵士が多くいたため、日本人が西洋の料理を食べやすくするための工夫が必要でした。

ヒントはあの英雄を感動させた「ビーフシチュー」

そのヒントは、日露戦争でバルチック艦隊を全滅させ「英雄」として知られる東郷平八郎が、イギリスのポーツマスに官費留学していた頃(1871/明治4年~1878/明治11年)に食べたビーフシチューにありました。

ビーフシチューの味を気に入り、日本でもぜひ食べたいと思った東郷は、同じものを艦上食として作るようにと料理長に命じました。

「牛肉と、ジャガイモと、ニンジンが入っていて、ワインとデミグラスソースで味付けをするのだ」

しかし料理長はビーフシチューの作り方を知らなかったため、何とかそれを再現しようと考えに考え、命じられた食材を砂糖や醤油で味付けしました。その結果できあがったのが肉じゃがで、失敗作とは言え日本人の味覚に合っていたため、一般にも広まっていったというのです。

「食事改革」を行った海軍では、行わなかった陸軍と比べ、脚気を発症する兵士が激減しました。偶然とはいえ西洋料理が日本人向けにアレンジされた肉じゃがは、多くの日本人を脚気から救うこととなったのです。

参考

ザ・歴史トリビア 明治・大正・昭和のへぇ~100連発/西沢教夫 LAURIER PRESS「これを作れば彼もイチコロ?男性が女性に作ってもらいたい手料理」 Sweeten the future「日本の家庭の味、肉じゃがはある料理の失敗作で、東郷平八郎が関わっているってホント? 【雑学】肉じゃがの歴史と由来!元々はビーフシチューだった!? Wikipedia「東郷平八郎」

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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