青森や岩手を中心に東北地方に伝わる民間信仰の「隠し念仏」とは (2/4ページ)
隠し念仏研究の先駆者・高橋梵仙(1904〜87)は、この善鸞ゆかりの「秘事法門」と隠し念仏(京都・鍵屋の系統は「土蔵秘事」などと呼ばれる)は、異なるとしているが諸説がありはっきりしない。本稿でも区別はしていない。
■秘密儀式
隠し念仏では「オトリアゲ」という秘密儀式が行われる。深夜、信者たちは仏前に向かい合掌し「ナンマイダー」や「助け給えー」という言葉を何回も何回も唱え続ける。そのうち意識が恍惚となり、いわゆる「三昧」の状態になっていく。そこを「善知識」(真宗の指導者と同じ名称)と呼ばれる導師が明かりを灯し、信者を救いあげる。また幼児洗礼のような「オモトヅケ」という儀式も存在するという。多分に魔術的な要素を帯びており、本願寺が異端とするのは無理もないとはいえる。深夜に民家の奥で秘密裏に行われるということで、いかがわしい行為が行われているような印象も拭えない。いずれにしてもこのような劇的な演出は信心深い庶民には効果的であっただろう。
■異安心
人知れず秘儀、密儀を行う隠し念仏諸派は本願寺からは「異安心」の極みと見られた。本願寺の原理主義は徹底していて、その歴史は異安心迫害の歴史でもある。親鸞正統の流れでありながら、その布教方法が異端であるとされた真宗・佛光寺派は、現代でも異端の汚名を回復することに苦心している(注)。まして自らを「内法」と称して親鸞の正統の教えは自認する一派など許せるはずもない。理想的信仰者として尊敬を集める「妙好人」と言われる人達がいたが、組織としての本願寺にとって妙好人の真摯な信仰の態度は、叛逆の恐れがない都合の良い存在でもあったのだ。
一方、時の政府である江戸幕府から見ても秘密結社的な集まりは、百姓一揆の謀議の場となりうる危険性があった。一国を制圧して自治国を設立し、織田信長を最も苦しめた一向宗(浄土真宗)だが、幕府と結びついた本願寺はその叛逆の牙を抜かれていた。しかし幕府の管理下に無い念仏集団は甚だ危険であった。こうして本願寺と幕府は利害が一致し、隠し念仏諸派に迫害・糾弾の手が伸び、弾圧は昭和に入ってからも続いた。幕府が抱いた秘密結社的な警戒を政府も抱いていたものらしく検挙もされている。